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三橋楼跡地を訪れて その1

三橋楼跡地を訪れて その1

2011年5月に発刊した「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」をご覧になった「三橋楼跡」に該当する「天満橋ニュースカイハイツ」を昨日訪れました。

訪問した理由は、天満橋ニュースカイハイツ管理組合の理事長H氏から「天満橋ニュースカイハイツが三橋楼跡という確証の史料はありますか? あれば教えていただきたい」というような問い合わせがあったためです。

「東区史」「大阪地籍地図」「五代友厚伝」などの資料から、三橋楼跡地は現在の天満橋ニュースカイハイツであることを説明しました。

「tisekitizu-sankyourou.pdf」をダウンロード

現在同マンションでは、余儀なくされ修築をしなければならず、その機会に三橋楼跡という由緒ある場所であることがわかれば、石碑を建立したいとの意向でした。

管理組合の理事の会計担当であるH氏や同マンションの隣にお住まいのH氏(偶然頭文字がH)とお話ができ、私が知らなかった多くの情報を得ることができました。

その内容は下記のとおりで、シリーズ化として詳細をご案内したいと思います。

・同マンションの下にある石垣の一部分に抜け穴と思われる空洞が確認されている

・不自然で作為的に組まれた石垣の組み方がなされてあり、現在もそれが確認できる

・三橋楼のあと日本ハリストス正教会であったが、同教会と同じ設計の教会が京都にあること。また同地にあった教会は大阪府吹田市に移転していること

・幼少期からこの地で育った隣接に住むH氏より、当時の八軒家船着場跡周辺地の様子をうかがうことができた

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