大阪史跡探訪VOL.6 その13
大阪史跡探訪Vol.6 その13
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
13回目は
・岡田平蔵招魂碑
・皆吉爽雨句碑
・二の丸一番櫓
・陸軍刑務所跡
・蓮如上人碑
・蓮如上人袈裟懸の松
です。
« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »
大阪史跡探訪Vol.6 その13
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
13回目は
・岡田平蔵招魂碑
・皆吉爽雨句碑
・二の丸一番櫓
・陸軍刑務所跡
・蓮如上人碑
・蓮如上人袈裟懸の松
です。
三橋楼跡 その3
天満橋ニュースカイハイツのH氏より下記の情報をいただきました。
明治15年9月11日、ハリストス正教会(掌院アナトリィ・チハイ師により)が三橋楼より5800円で603坪の土地を購入しました。
三橋楼の家屋は、西日本各地の司祭や伝導師の宿のようになりました。
三橋楼敷地の庭内に扇形浴室と浴盤を土佐藩主山内氏が参勤交代の折に使用する目的で設けましたが、明治維新により1回も入浴しないまま同教会に引き継がれたようです。同教会の立派な建物が建ち、この周辺のシンボルとなりました。
その後同教会は吹田市に移転しました。
天満橋にあった頃の古写真が数枚残されているそうです。
わたしは、まだその写真を拝見していませんが、当時の八軒家船着場周辺の町の様子も移っていると思われ、大変興味深く思っています。
大阪史跡探訪Vol.6 その12
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
12回目は
・徳川家康築の天守跡
・豊臣秀吉の正室 北政所(ねね)住居跡
・豊臣秀長の屋敷跡
・兵器支廠跡
・太鼓櫓跡
・石山本願寺推定地の碑
・二の丸跡
・二の丸六番櫓跡
・二の丸大番衆小屋跡
・新選組 1日だけの入城(慶応4年1月7日)
・淀殿・豊臣秀次の屋敷跡
・豊國神社
・木村卓叟追思碑
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その11
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
11回目は
・教育塔
・生國魂神社お旅所跡
・世界連邦平和像
・大手門(追手門)
・大手門枡形の巨石
・二の丸多聞櫓
・二の丸千貫櫓
・大阪城代上屋敷跡
です。
三橋楼跡地を訪れて その2
天満橋ニュースカイハイツの北側には石垣と石崖があります。
上半分は江戸期のものできれいに石が切られて詰まれています。
下半分は野面積みで丸い石を重ねていったもの。
石垣との間に隙間があるためイタチが居住しているそうです。
その上半分の石垣の東側に空洞があり、現在はコンクリートでふたをしているような状況とのことですが、防空壕に使われた形跡は無く、戦国期から残る抜け穴という説があるようです。
洞穴は東西と南北にあって、マンションを建てた際、工事を受け持った業者が手を抜いたのかこの空洞に丸いつつのようなものをはめこみ、中には雑用品を詰め込んであったようです。
今回、修築を考えておられるようですが、少々お金がかかっててでも耐震に強いものにするとのことです。
それにしても、この抜け穴は何のために掘られたのでしょうか。
蓮如上人の隠居先として建てられた御坊が、やがて総本山石山本願寺と移っていくわけですが、本願寺時代の遺構ではないか。本願寺の遺構は天満橋付近にあったのではないか。という考えが出ているようです。
大阪史跡探訪Vol.6 その10
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
10回目は
Ⅴ.大阪城
<大坂城の歴史>
⑪大阪城天守閣の再建 ~大阪市民の寄付金により再建~
2)豊公館
3)天守閣の復興が議会で可決
4)寄付金の募集
5)天守閣再建の問題点
6)大阪城天守閣の再建
⑫第二次世界大戦中の大阪城 ~陸軍により閉鎖された大阪城~
1)観光客入場の規制
2)天守閣の一般公開を閉鎖
⑬敗戦直後の大阪城 ~進駐軍に占領された大阪城~
1)8月14日の大空襲
2)天守閣の被弾
大阪城の被弾、大阪砲兵工廠潰滅
3)砲兵工廠・櫓・門などの被弾
4)進駐軍に占領された大阪城
5)応急復古
⑭現在の大阪城 ~大阪のシンボル「大阪城」~
1)一般公開の再開
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その9
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
9回目は
Ⅴ.大阪城
<大坂城の歴史>
⑨幕末期の大坂城(その3) ~賊軍となった幕府方の拠点~
2)徳川慶喜、フランス・イギリス公使との謁見
3)徳川慶喜・外国公使との謁見
4)鳥羽伏見の戦い
5)徳川慶喜、大坂城を脱出
6)大坂城の焼失
大坂城消失後の様子
⑩明治紀の大阪城 ~陸軍の軍事拠点~
1)大阪鎮台の設置
2)兵学寮(陸軍の士官学)の開校
3)造兵司(のちの大阪砲兵工廠)の設置
4)西南戦争勃発
5)紀州御殿
6)時報を告げる大砲
⑪大阪城天守閣の再建 ~大阪市民の寄付金により再建~
1)大大阪記念博覧会の第二会場
です。
三橋楼跡地を訪れて その1
2011年5月に発刊した「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」をご覧になった「三橋楼跡」に該当する「天満橋ニュースカイハイツ」を昨日訪れました。
訪問した理由は、天満橋ニュースカイハイツ管理組合の理事長H氏から「天満橋ニュースカイハイツが三橋楼跡という確証の史料はありますか? あれば教えていただきたい」というような問い合わせがあったためです。
「東区史」「大阪地籍地図」「五代友厚伝」などの資料から、三橋楼跡地は現在の天満橋ニュースカイハイツであることを説明しました。
「tisekitizu-sankyourou.pdf」をダウンロード
現在同マンションでは、余儀なくされ修築をしなければならず、その機会に三橋楼跡という由緒ある場所であることがわかれば、石碑を建立したいとの意向でした。
管理組合の理事の会計担当であるH氏や同マンションの隣にお住まいのH氏(偶然頭文字がH)とお話ができ、私が知らなかった多くの情報を得ることができました。
その内容は下記のとおりで、シリーズ化として詳細をご案内したいと思います。
・同マンションの下にある石垣の一部分に抜け穴と思われる空洞が確認されている
・不自然で作為的に組まれた石垣の組み方がなされてあり、現在もそれが確認できる
・三橋楼のあと日本ハリストス正教会であったが、同教会と同じ設計の教会が京都にあること。また同地にあった教会は大阪府吹田市に移転していること
・幼少期からこの地で育った隣接に住むH氏より、当時の八軒家船着場跡周辺地の様子をうかがうことができた
大阪史跡探訪Vol.6 その8
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
8回目は
Ⅴ.大阪城
<大坂城の歴史>
⑦幕末期の大坂城(その1) ~第14代将軍徳川家茂終焉の地~
3)将軍 徳川家茂 2回目の大坂城入城(新年の祝賀を返上)
4)将軍 徳川家茂 3回目の大坂城入城(第二次長州征伐総指揮)
5)将軍 徳川家茂 大坂城内で病死
6)将軍 徳川家茂終焉の地
⑧幕末期の大坂城(その2) ~第15代将軍徳川慶喜・外国公使謁見の地~
1)将軍 徳川慶喜・フランス公使レオン・ロッシュとの会見
2)将軍 徳川慶喜・外国公使との謁見
徳川慶喜とイギリス公使ハリー・パークスとの内謁見の様子
⑨幕末期の大坂城(その3) ~賊軍となった幕府方の拠点~
1)大政奉還・王政復古の大号令により徳川慶喜は大坂城に入場
徳川慶喜 大坂城入城の様子
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その7
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
7回目は
Ⅴ.大阪城
<大坂城の歴史>
⑥徳川期の大坂城 ~西国大名監視の拠点~
1)大坂城第5代城主 松平忠明
2)大坂城の再建
3)豊臣期の大坂城と徳川期の大坂城の違い
4)過酷な「割普請」
5)大坂城代の設置
大坂城代一覧表
6)天守閣、落雷による焼失
⑦幕末期の大坂城(その1) ~第14代将軍 徳川家茂終焉の地~
1)黒船ロシア船ディアナ号大坂湾に来航
2)将軍 徳川家茂の大坂城入城(230年ぶりの将軍入城)
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その6
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
6回目は
Ⅴ.大阪城
<大坂城の歴史>
①浄土真宗総本山 石山本願寺(大坂本願寺)
②大坂城の築城 ~初代城主 織田信長~
③豊臣期の大坂城 ~天下統一の拠点として本格的な築城へ~
1)第2代城主 池田恒興
2)第3代城主 羽柴(豊臣)秀吉
3)本格的な大坂城の築城
④秀吉死後の大坂城(その1) ~2つの天守閣~
1)第4代城主 豊臣秀頼
2)徳川家康の台頭
3)大坂城に2つの天守閣が並び建つ
⑤秀吉死後の大坂城(その2) ~大坂城の落城~
1)徳川家康と石田三成の対立
2)大坂城の落城
番外編 徳川家康討死説
です。
水帳(御図帳)と水帳絵図
安政3年に作成された水帳。町単位で作成された水帳は、その後水帳自身の更新は無く、家屋持ち主の名義が変われば、その上に紙を貼り付けていく方法が採られました。
表口、裏行の寸法が明記されています。
下記写真は、大坂八軒家にあった船宿「堺屋源兵衛」「京屋忠兵衛」の水帳の記載内容です。それに伴い図面で紹介されたものが水帳絵図。
水帳絵図には八軒家船着場正面に上がると表口が随分広い「堺屋源兵衛」の船宿があったことがわかります。しかもその表口中途に「高倉筋」という道が通っていました。
水帳には「内幅弐間之大道」という記載がありますが、これこそ「高倉筋」に該当いたします。
現在も残る「高倉筋」。実際幅を計ると記載どおり2間の寸法に合致しました。
大阪史跡探訪Vol.6 その5
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
5回目は
Ⅲ.大阪城周辺
・月山貞一旧居跡
・大村益次郎寓居(漏月庵)跡
・井原西鶴終焉の地
・井原西鶴文学碑
・舎密局跡
・ハラタマ博士像
・大阪憲兵隊本部跡
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その4
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
4回目は
Ⅰ住吉大社周辺
・反橋(太鼓橋)
・薩摩藩祖 島津忠久誕生の地(誕生石)
・土佐藩住吉陣屋撤去時献納の常夜燈
・阪堺電軌道
です。
「vol.6-2005-10-23-4.pdf」をダウンロード
・土佐
大阪史跡探訪Vol.6 その3
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
3回目は
Ⅰ住吉大社周辺
・赤穂義士(大石内蔵助ほか)の墓所/一運寺
・土佐藩住吉陣屋ゆかりの興善寺跡
・旧熊野街道
・池田屋
・一休禅師寓居跡
Ⅱ住吉大社
・豊臣秀頼ゆかりの鳥居
・後醍醐天皇ゆかりの車返しの櫻
・卯の花苑
・石舞台
・住吉大社本宮
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その2
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
2回目は
Ⅰ住吉大社周辺
・旧紀州街道
・土佐藩住吉陣屋跡
・六道の辻(閻魔地蔵堂)
・弾薬製造所跡
・生根神社
・土佐藩住吉陣屋遺構の石垣
です。
大阪史跡探訪Vol.6 その1
平成17年(2005)10月24日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.6」(参加者19名)を何回かに分けてアップいたします。
1回目はこの日にご案内した107箇所のイベントコースをご紹介いたします。
大坂の史跡を訪ねて(連載26回目)その2
平成17年(2005)7月17日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第96号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載26回目)」を2回に分けてアップいたします。
その2の史跡紹介は「夕陽丘周辺その8」として
・幕臣 伊庭八郎宿泊の地/大仙寺
・脱藩した大名について
・尾張藩第6代藩主 徳川継友菩提所/本長寺
・赤穂義士 堀部弥兵衛・安兵衛墓所/福泉寺
大坂の史跡を訪ねて(連載26回目)その1
平成17年(2005)7月17日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第96号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載26回目)」を2回に分けてアップいたします。
その1の史跡紹介は「夕陽丘周辺その8」として
・蘭医ボードウィン寓居跡/法性寺
・薩摩屋半兵衛墓所/法性寺
・坂本龍馬潜伏の地/法性寺
です。
大坂の史跡を訪ねて(連載25回目)その2
平成17年(2005)4月3日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第95号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載25回目)」を2回に分けてアップいたします。
その2の史跡紹介は
・土佐藩ゆかりの地 有栖清水跡
・赤穂義士像/吉祥寺
・桑名藩大坂留守居役 黒沢 翁満 墓所/珊瑚寺
・加賀藩大坂蔵屋敷 遺構 石鳥居/太平寺
です。
大坂の史跡を訪ねて(連載25回目)その1
平成17年(2005)4月3日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第95号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載25回目)」を2回に分けてアップいたします。
その1の史跡紹介は「夕陽丘周辺その7」として
・新選組宿舎跡/大寶寺
・土佐勤王党 島村寿太郎墓所/齢延寺
・土佐藩刀工 左 行秀 墓所/齢延寺
・夕霧太夫墓所/浄国寺
・料亭 西昭庵跡
・小松帯刀墓所跡
・料亭 浮瀬(うかむせ)跡
です。
神戸史跡探訪Vol.1 (連載11回目)
平成17年(2005)3月27日に実施した大阪龍馬会イベント「神戸史跡探訪Vol.1」(参加者27名)を中心にアップしています。
連載11回目(最終回)は以下のとおりとなります。
・勝 海舟邸に関連する
坂本龍馬の手紙
勝 海舟邸の所在地について
・舞子砲台 調査資料
神戸史跡探訪Vol.1 (連載10回目)
平成17年(2005)3月27日に実施した大阪龍馬会イベント「神戸史跡探訪Vol.1」(参加者27名)を中心にアップしています。
連載10回目は
・神戸海援隊レリーフ(時間の関係でご案内できず)
・外国人居留地時代の標柱(時間の関係でご案内できず)
・神戸外国人居留地15番館(時間の関係でご案内できず)
・神戸外国人居留地跡(時間の関係でご案内できず)
・神戸事件発生地
・神戸海軍塾(勝塾)書生寮跡
・勝 海舟邸跡(神戸海軍塾跡)
です。
神戸史跡探訪Vol.1 (連載9回目)
平成17年(2005)3月27日に実施した大阪龍馬会イベント「神戸史跡探訪Vol.1」(参加者27名)を中心にアップしています。
連載9回目は
・明治新政府社交の場(時間の関係で訪問できず)
・神戸税関発祥の地(時間の関係で訪問できず)
・神戸j海軍操練所跡
・神戸電信発祥の地
・網屋吉兵衛顕彰碑
・操練所顕彰碑
です。
神戸史跡探訪Vol.1 (連載8回目)
平成17年(2005)3月27日に実施した大阪龍馬会イベント「神戸史跡探訪Vol.1」(参加者27名)を中心にアップしてます。
連載8回目は
・明治維新開港当時関門跡(実際には時間の関係で現地でのご案内はできず)
・大坂海軍塾ゆかりの寺、海舟・西郷会見の寺 専稱寺(実際には時間の関係で現地でのご案内はできず)
・加納宗七像(実際には時間の関係で現地でのご案内はできず)
・旧居留地108番地の碑(実際には時間の関係で現地でのご案内はできず)
・伊藤博文ゆかりの町 伊藤町(実際には時間の関係で現地でのご案内はできず)
神戸史跡探訪Vol.1 (連載7回目)
これまで「神戸の史跡を訪ねて」を6回連載してまいりましたが、「大阪史跡探訪」の振り返りをしている中、第24回目は平成17年(2005)1月16日発行の会報。
25回目が同年4月3日発行の会報。
その間の同年3月27日に実施した大阪龍馬会イベント「神戸史跡探訪Vol.1」(参加者27名)を中心にアップしていきます。
連載7回目は
・高田屋嘉兵衛顕彰碑
・高田屋嘉兵衛本店跡
・推理作家 横溝正史生誕の地
・明治天皇御用邸跡
をご紹介いたします。
大坂の史跡を訪ねて(連載24回目)その2
平成17年(2005)1月16日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第94号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載24回目)」を2回に分けてアップいたします。
その2の史跡紹介は
・明治天皇御製碑
・東郷平八郎 謹書
・頼 山陽の詩 碑
・大隈重信 手植之松碑
・閑院宮殿下 手植之楠碑
・高浜砲台跡
・樟葉砲台跡
をご紹介します。
大坂の史跡を訪ねて(連載24回目)その1
平成17年(2005)1月16日に発行した「大阪龍馬会会報(龍馬速報第94号)」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載24回目)」を2回に分けてアップいたします。
その1の史跡紹介は
・桜井の駅跡
・楠公父子像
・楠公訣別之處碑
碑文:イギリス公使 ハリー・パークス
・楠公父子訣別之所碑
謹書:乃木稀典 撰文:細川潤次郎
です。
大坂の史跡を訪ねて(連載23回目)
平成16年(2004)10月31日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報第93号」に投稿した大坂の史跡を訪ねて(連載23回目)をアップいたします。
京都ホテルオークラにある2つの石碑
桂小五郎の銅像があることでも有名な京都ホテルオークラは、江戸期には「長州藩邸」がありました。
この京都ホテルオークラの北東角の敷地内に2つの大きな石碑がありますが、あまり脚光を浴びておりません。
周辺は史跡だらけなので、埋もれてしまっています。
両石碑とも漢語で書かれてあり、ガイドブックにもあまり掲載されていませんので、ついついスルーしてしまいます。
この2つの大きな石碑を取り上げたいと思います。
どちらも前田又吉に関する石碑です。
前田又吉については、詳しい記録が残されておらず、わずかに「神戸開港三十年史」(明治31年刊)と「神戸市史」(大正10年刊)に散見されるだけです。
大坂の裕福な家に生まれ、若い頃は遊興に身を持ち崩したといわれます。
貧乏となり兵庫の佐比江にあった米市場のあたりで、露店の煮売り屋を始めました。
徐々に発展しやがて小料理屋を開くようになりました。
明治初年、花隈で料亭「常盤花壇」を経営します。この花隈には旧三田藩主・九鬼隆義の別邸があり、お殿様が前田をヒイキにしたということです。
また「橋本花壇」には兵庫県初代知事の伊藤博文(当時は俊輔)が仮住まいしていましたので、このとき出会ったかもしれません。
北風正造・神田兵右衛門・藤田積中といった地元名士とも交わりが始まりました。
山田又吉は、明治6年(1873)、諏訪山に鉱泉が出るのに目をつけ、土地を借りて「常盤花壇」をここに移し温泉料亭を開業させました。
資金は九鬼(旧三田藩主)が出したといいます。
同15年(1882)ごろには「常盤花壇」は東・中・西の三店に増え、いずれも身内の者に営業させたようです。又吉は、宇治川にも「常盤」をつくり経営にあたりました。
「神戸開港三十年史」には次のように紹介されています。
<神戸開港三十年史(上)>
常盤花壇は前田又吉の開業なり。
又吉は大阪の人、其家元甚だ乏しからず。壮年の頃、遊蕩に其家産を失ひ、漂泊して兵庫に来る。其頃、佐比江に米市場あり、又吉、其衣を売却して僅かに両余の資本を作り、露店煮売を以て活路とせり。
又吉に一女あり。当時兵庫の料亭あらし花壇の男と慇懃を通じ嫁す。又吉是れより応援の助力を得、遂に佐比江に小割烹店を開く。資性機慧にして奇才あり。漸く有力者の助を得て、明治元年、常盤花壇を開業し、明治6年諏訪山温泉地を関戸由義に借り資本を三田藩主より得て開業し、十年後に至ては、諏訪山東中西の三常盤楼を造営し、又宇治川常盤を開業して、孰れも神戸有名の酒楼たらしめたり。
其後、京都「ホテル」の企画に失敗せりと雖も、浪々たる一箇の破落漢より、赤手を揮ひ、神戸の又吉として知らるヽに至れる彼は、仔細に其生前の経歴を叙せば、好個の小説的快話あるなるべし。
明治15年に『又吉泉記』をつくり、「常盤花壇」の庭に石碑を建てました。
撰文と書は巌谷一六です。一六は関西で最も人気の高かった書家です。子息は童話作家で有名になった巌谷小波です。
また同年、神戸新報で次のような記事が掲載されました。
神戸新報 明治15年1月15日
当時兵庫の紳商、神田・藤田・北風・岩田ら四氏には、一昨日、常盤花壇に於いて伊藤(博文)参議を始め、芳川工部少輔、朝倉生野鉱山長並に本県森岡県令、柳本・篠崎両少書記官及び属官の諸氏を招待し盛んに饗応されたり。
諏訪山のふもとの高台で兵庫の街並みを見下ろし、港までが一望できる眺望絶佳の地です。温泉街の背後にそびえる諏訪山は、明治36年(1903)に整備されて公園となり、温泉とともに市民の憩いの場となりました。
前田又吉は明治26年(1893)1月12日、この世を去ります。
64歳でした。墓所は大阪天王寺区の源聖寺にあり葬られています。
又吉の死後、 生前に親交のあった北風正造のほか伊藤博文その他の知友に寄付を求めて、銅像をつくりました。
銅像は戦時中に供出され、今は伊藤博文の銘文を彫り込んだ石碑だけしか残っておりません。
銅像の写真はありませんが、建設予想図によると座像であったことがわかります。
伊藤博文による撰文は、漢文ですが、現代訳を示しすとつぎのとおりです。
『前田又吉銅像記』
前田又吉の銅像が成った。又吉の遺族が来ていうには、
「又吉は、かつて伊藤公の知遇を得ました。公が京都や兵庫に来られた際には、いつも又吉の家に泊まられました。又吉の事績については、公はよくご存じですから、どうか、詩文にして、後世に遺していただきたいのです」と。
それで、又吉の歩んだ道をふりかえって見ることにした。
私が又吉を知ってから、三十年以上にもなる。又吉は市井にあっても、たいへんよく世の中の動きをさとっていた。それ故、往々、人の意表をつくような事業を始めた。たとえば、鉱泉を開いたり。公園を造ったり、会館を設けたり、貧者を救済したりである。どれも世の中に役立つことばかりだ。これは後世に伝え遺すべきことだと思い、つぎのような詩をつくった。
神戸之郷 四時清和 海洋々兮 山峩々兮
又吉開荒 泉出山阿 煙供浴場 能痊沈痾
徳長誉長 千載不磨
明治二十六年十月 伯爵 伊藤博文 撰印
第2次世界大戦で、この一帯は空襲ですっかり焼かれ、温泉街はなくなってしまいました。現在は、かつての温泉街の中央をバス道の山本通りが東西に走り、ビル街に変身しています。そのバス道のかたわらに、辛うじて残った割烹旅館の前庭に、巌谷一六の『又吉泉記』伊藤博文の『前田又吉銅像記』と、2つの石碑が、取り残されたように建っていました。この碑は「京都ホテル」創業100年の記念事業として京都ホテルが譲り受けました。
現在は「ホテル京都オークラです。
左:「又吉泉記」 右:「前田又吉銅像記」
2008年12月に「京都ホテルオークラ」に両石碑の詳細を訪ねたところ、ご丁寧にもFAXにて9枚に及ぶ「京都ホテル100年ものがたり」を送ってくださいました。
上記文章は、この「京都ホテル100年ものがたり」から殆んどを引用させていただきました。
宮本 輝 文学碑
宮本 輝の代表的な小説で、太宰治賞受賞作品「泥の河」の文学碑が建立されました。
一本松汽船(株)の近くに建立されました。
同社の一本松社長が(宮本輝さんと同じ大学のご出身)創業した会社は、「ぽんぽん船」を運航する会社で「泥の河」舞台地にある会社です。
http://www.otemon.ac.jp/guide/press/backnumber36/pdf/12.pdf
宮本輝ミュージアムはこちら
大坂の史跡を訪ねて(連載22回目)その2
平成16年(2004)6月27日発行の大阪龍馬会会報第92号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載22回目)」の2回目をご紹介いたします。
阿倍野にある南霊園は、6.9ヘクタールもの広大な墓地で、政界、実業界など活躍された著名な方々が眠っておられます。
大坂の史跡を訪ねて(連載22回目)その1
しばらく「大阪史跡探訪Vol.5」のイベントテキストを数回に分けてご紹介してきました。
再度、大阪龍馬会会報に投稿した「大坂の史跡を訪ねて」を連載に戻します。
今回は、平成16年(2004)6月27日発行の大阪龍馬会会報第92号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載22回目)」を2回に分けてご紹介いたします。
神戸の史跡を訪ねて(連載6回目)
今回は
・滝 善三郎切腹の地 永福寺跡
・西国街道 兵庫宿 本陣跡
・西国街道 札場の辻跡
・源平ゆかりの地 大輪田泊 経ヶ島跡
・源平ゆかりの地 松王丸入海の碑
です。
大阪史跡探訪Vol.5 史跡関連案内その2
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」で紹介した史跡に関連するその他の地域の史跡を2回に分けてご紹介します。
2回目は下記史跡をご紹介いたします。
・長州藩殉難48士の墓所(阿部野墓地)
・舊山口藩殉難諸士招魂之碑(大江護国神社)
・順動丸について
・石山本願寺跡(大阪城)
・蓮如上人碑(大阪城)
・南組惣会所跡
・天王寺屋発祥の地
・鴻池新田会所
・大阪市初の女性助役 大平光代氏について
「vol.5 2004-0606 A-2.pdf」をダウンロード
参加者数はこの日38名でした。
大阪史跡探訪Vol.5 史跡関連案内その1
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」で紹介した史跡に関連するその他の地域の史跡を2回に分けてご紹介します。
今回は下記史跡をご紹介いたします。
・水戸藩士 川崎孫四郎自刃の所
・島 男也 旧居跡
・口縄坂
・脱藩した大名 請西藩主 林 忠崇
・浪華仮病院跡(大福寺)
・大村益次郎終焉の地
・その他の赤穂義士の墓
・土浦藩飛び地領(大阪府岬町)
・土屋相模守此池築碑
・土浦藩領 勝 海舟宿泊の地 戸口仙蔵宅
・藤井藍田墓所(統国寺)
・藤井藍田贈位記念碑(統国寺)
大阪史跡探訪Vol.5 その12(最終)
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたしましたが、12回目は最終回となります。下記史跡をご紹介いたします。
・船入橋(鍋島橋)跡
・新選組大坂力士騒動の地
・佐賀藩蔵屋敷跡
・肥前小城藩蔵屋敷跡
桂 小五郎(木戸孝允)終焉の地
明治維新の三傑にあげられる木戸孝允公。
幕末期は桂 小五郎の名で知られる維新の活躍者です。
明治10年(1877)5月、木戸孝允は日本の行く末を案じながら京都で永眠しました。
その終焉の地である木戸孝允邸が、現在一般公開されています。
私のパートナーであるO野さんより情報を入手し、時間が開いたときを狙い、訪問してみました。
木戸邸はかつて公家の近衛家の下屋敷(河原屋敷)を譲り受けたものです。
現在この周辺には「木戸孝允旧邸」という石碑があらゆるところに建っています。
また、木戸孝允の子息 忠太郎がコレクションとして集めた達磨を陳列した「達磨堂」も見学できます。
9月までですので、まだ観ておられない方はこの機会に是非お薦めです。
大阪旅めがね「大阪城ツアー」8月27日
7月に引き続き8月27日にも「大阪城ツアー」を担当することになりました。
これまでとは違い、プリンセストヨトミのロケ地なども折り混ぜてご紹介しますので、ぜひご参加ください。
今年は、大阪城天守閣再興80周年です。
大阪のシンボルである大阪城をぜひ見直してみませんか?
詳細は事務局(06-6624-8500)にお問い合わせください。
WEBでの申し込みは
大阪史跡探訪Vol.5 その11
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
11回目は下記史跡をご紹介いたします。
・栴檀木橋
・三好達治詩碑
・豊國神社跡
・豊臣秀吉像跡
・大阪市中央公会堂
・大阪通商会社 為替会社跡
・福井藩蔵屋敷跡
・自由亭(のちの大阪ホテル)跡
・関 一 像
・銀水楼跡
・鋒流橋
大阪史跡探訪Vol.5 その10
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
10回目は下記史跡をご紹介いたします。
・大阪俵物会所跡
・なだ万について
・鴻池家本宅跡
・緒方洪庵像
・適塾
・千艸屋跡
・盛岡藩蔵屋敷跡
・壬生義士伝ゆかりの地 吉村貫一郎終焉の地
・彦根藩蔵屋敷跡
大阪史跡探訪Vol.5 その9
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
9回目は下記史跡をご紹介いたします。
・勤王僧 月照 生誕の地
・北組惣会所跡
・加賀屋四郎兵衛邸跡
・少名彦神社
・谷崎潤一郎「春琴抄」文学碑
・新選組 山南敬助ゆかりの岩城升屋跡
・平野屋五兵衛邸跡
・新選組の隊服について
・大阪会議開催地跡 花外楼
・大阪金相場会所跡
大阪史跡探訪Vol.5 その8
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
8回目は下記史跡をご紹介いたします。
・大坂海軍塾跡
・勝 海舟・西郷吉之助会見の地
・坂本龍馬訪問の地
・桂小五郎訪問の地
・そのほか専稱寺を訪問した人物
大阪史跡探訪Vol.5 その7
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
7回目は下記史跡をご紹介いたします。
・西本願寺津村別院(北御堂)
・勝 海舟 姉小路公知卿謁見の地(北御堂)
・討幕征討将軍 仁和寺宮嘉彰親王 本営の地(北御堂)
・親鸞像
・蓮如像
・明治天皇 大阪行幸行在所(北御堂)
・加賀屋徳兵衛邸跡
・専稱寺跡
・勝 海舟寓居跡
大阪史跡探訪Vol.5 その6
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
6回目は下記史跡をご紹介いたします。
・宇和島藩蔵屋敷跡
・宇和島橋跡
・夕霧太夫ゆかりの扇屋跡
・初世 中村雁治郎生誕の地
・新町九軒桜堤の跡碑
・吉田屋跡
・百田宗治詩碑
・新町橋跡
・東本願寺難波別院(南御堂)
・戊辰の役 討幕軍薩摩藩屯所跡(南御堂)
・長州藩士切腹の地(南御堂)
・松尾芭蕉終焉の句碑(南御堂)
・松尾芭蕉終焉の地(南御堂)
大阪史跡探訪Vol.5 その5
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
5回目は下記史跡をご紹介いたします。
・坂本龍馬潜伏の地(法性寺)
・赤穂義士 堀部弥兵衛・安兵衛 墓所 (福泉寺)
・土浦藩蔵屋敷跡
・新選組ゆかりの地 ぜんざい屋事件(土佐藩勤王の志士 大利鼎吉遭難)の地
・勧進相撲興行の地
・紀州藩蔵屋敷跡
・藤井藍田捕縛の地 玉生堂跡
・間 長涯 天文観測の地
大阪史跡探訪Vol.5 その4
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
4回目は下記史跡をご紹介いたします。
・アーネスト・サトウ・西郷吉之助会見の地(本覚寺)跡
・アーネスト・サトウ宿泊の地(法雲寺)
・伊庭八郎宿泊の地(大仙寺)
・尾張藩第6代藩主 徳川継友菩提所(本長寺)
・蘭医 ボードウィン寓居跡(法性寺)
・薩摩藩御用商人 薩摩屋半兵衛墓所(法性寺)
大阪史跡探訪Vol.5 その3
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
3回目は下記史跡をご紹介いたします。
・源聖寺坂
・新選組大坂屯所跡(萬福寺)
・夕霧太夫 墓所(浄国寺)
・イギリス公使 ハリー・パークス宿泊の地(正法寺)
・イギリス外交官 アーネスト・サトウ宿泊の地(本覚寺跡)
大阪史跡探訪Vol.5 その2
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
2回目は下記史跡をご紹介いたします。
・水戸藩士ゆかりの地
水戸藩士 川崎孫四郎自刃の所
笠間藩士 島 男也 旧居跡
・新選組宿舎跡(大寶寺)
・藤澤東畡、藤澤南岳 墓所(齢延寺)
・土佐勤王党 島村寿太郎 墓所(齢延寺)
・土佐藩刀工 佐 行秀 墓所(齢延寺)
大阪史跡探訪Vol.5 その1
平成16年(2004)6月6日に開催した大阪龍馬会イベント「大阪史跡探訪Vol.5」を何回かに分けてアップいたします。
大坂の史跡を訪ねて(連載21回目)その2
平成16年(2004)3月7日に発行した大阪龍馬会会報「龍馬速報 第91号」に投稿しました「大坂の史跡を訪ねて(連載21回目)」の2回目です。
今回のご紹介は下記のとおりです。
・長柄墓地
小林佐兵衛、中野梧一、山下重威、近藤南州、能勢頼富
次回は平成16年(2004)6月6日開催した「大阪史跡探訪Vol.5」をご紹介いたします。
大坂の史跡を訪ねて(連載21回目)その1
平成16年(2004)3月7日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報 第91号」に投稿しました「大坂の史跡を訪ねて(連載21回目)を2回に分けてアップいたします。
その1は下記のとおりです。
・土佐藩住吉陣屋跡
完成までの経緯、陣屋の規模、陣屋に勤務・訪れた人物、陣屋跡の場所、陣屋の撤去、陣屋の遺構
・
神戸の史跡を訪ねて(連載5回目)
今回は下記史跡をご紹介いたします。
・平 清盛 像
・兵庫大仏
・平 清盛 廟所
・ジョセフ・ヒコの英文碑
・豪商 北風正造の碑
・滝 善三郎 顕彰碑
大坂の史跡を訪ねて(連載20回目)その3
平成15年(2003)10月26日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報 第90号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載20回目)」のその3をアップいたします。
今回は下記のとおりです。
・先覚者の銅像
佐久間象山、関 孝和、橋本曇斎、豊田佐吉、トーマス・A・エジゾン、平賀源内、ゲオルグ・ジーモン・オーム、アンドレ・マリ・アンペール&マイケル・ファラデー、マルコニー、フィリップス
・もりぐち歴史館(旧中西家住宅)
大坂の史跡を訪ねて(連載20回目)その2
平成15年(2003)10月26日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報 第90号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載20回目)」のその2です。
・江戸川乱歩寓居跡
・名探偵 明智 小五郎 誕生の地
・難宗寺(西御坊)
・明治天皇守口行在所跡
・盛泉寺(東御坊)
・内侍所奉安所跡
大坂の史跡を訪ねて(連載20回目)その1
平成15年(2003)10月26日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報 第90号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載20回目)」を3回に分けてアップいたします。
今回は下記史跡をご紹介いたします。
・川口居留地跡
・外人雑居地の跡
・大阪開港の地
・川口運上所跡
・富島外務局跡
・大阪税関発祥の地
・明治天皇聖躅碑
・川口電信局跡
・大塩平八郎ゆかりの書院(※現在は姿を消してしまいました)
大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~
大阪龍馬会から発刊の「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」
発刊のあと、史跡案内のたびに何冊かお買い求められる方がいらっしゃいます。
6月11日の「大坂の幕末を歩く」に参加いただいたお客様は、大阪府以外からの参加者もおられ、静岡県からお越しいただいた方もいらっしゃいました。本当に感謝申しあげます。6月4日の講演会で6冊もお買い求められた方がいらっしゃったのですが、偶然、6月11日にお会いしました。緒方洪庵の「除痘館跡」資料館の館長さんでした。たまたま6月11日、通常開いていない時間帯に開いていたので案内した際、館長さんから6月4日の件を教えていただきました。「ありがたい」の一言です。
8月5日の「大阪桜会」8月定例会に招かれまして、30分強「大坂海軍塾」を主に大坂にある史跡をご紹介させていただきました。「大阪会議」の話をしたかったのですが、時間切れでした。このとき参集されておられた多くの皆さんにお買い求めいただきました。
改めてお礼申しあげます。大阪桜会での講演にお声かけくださいましたT氏のブログ
「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」の通信販売情報はこちら
大坂の史跡を訪ねて(連載19回目)
いつもご覧いただきありがとうございます。
平成15年(2003)7月27日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報第89号」に投稿しました「
大坂の史跡を訪ねて(連載19回目)」をアップいたします。
今回は
・薩摩藩蔵屋敷(下屋敷)跡
・宇和島藩蔵屋敷跡
・宇和島橋跡
・間 長涯 天文観測の地跡
・四ツ橋跡
・藤井藍田 玉生堂跡
・勧進相撲興行の地
・紀州藩蔵屋敷跡
大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)その2
平成15年(2003)5月18日に発行した大阪龍馬会会報「龍馬速報第88号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)の2回目をアップいたします。
今回は下記のとおりです。
・岩崎家舊邸跡
・三菱発祥の地
・司馬遼太郎旧住居の地
・「竜馬がゆく」執筆の地
・鰹座発祥の地
・鰹節問屋 山田屋跡
・「大阪史跡探訪Vol.4」を終えて
大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)その1
平成15年(2003)5月18日発行の大阪龍馬会会報「龍馬速報第88号」に投稿した「大坂の史跡を訪ねて(連載18回目)を2回に分けてアップいたします。
1回目は下記のとおりです。
・土佐藩蔵屋敷跡
・堺事件 土佐藩11烈士ゆかりの地
大阪史跡探訪Vol.4(その10)
今回は、
・熊野街道跡
・南組惣会所跡
・大村益次郎殉難報国碑(終焉の地)
・歩兵第三十七聯隊跡
・歩兵第八聯隊跡
・御臨幸之跡
・難波宮跡
・5世紀末の高床式建物(大型倉庫群)
です。
「vol.4(2003-03-16)-10.pdf」をダウンロード
今日の参加者数は38名でした。
大阪史跡探訪Vol.4(その9)
今回は
・大阪府庁(大阪裁判所)跡
・大阪府の初代知事
・英照皇太后、昭憲皇太后 行啓之所
・昭憲皇太后と坂本龍馬
・五代友厚像
・土居通夫像
・稲畑勝太郎像
・背割下水(太閤下水)
をご紹介いたします。
大阪史跡探訪Vol.4(その8)
今回は
・坐摩神社(いかすりじんじゃ)
・明治天皇聖躅碑
・樟樹句碑
・佐久良東雄寄寓跡
・桜田門外の変と大坂挙兵計画
・松尾芭蕉終焉の地
・東横堀川
・井原西鶴文学碑
・義侠 天野屋利兵衛之碑
・大坂西町奉行所跡
・大阪府立貿易館跡
をご紹介いたします。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最近のコメント