吉田松陰宿泊の地 山田文英邸跡(山田家)
吉田松陰宿泊の地 山田文英邸跡(山田家) 泉南市岡田
大阪龍馬会の会報「第76号【平成12年(2000)5月13日発行】でMさんによる「ひょうたんからの駒の巻・吉田松陰と泉南市」を読んだのがきっかけでこの地にたどることができました。
嘉永6年(1853)1月26日、吉田松陰は長州萩を出発。萩から江戸に至るまでの旅を日記「発丑遊歴日録」として書き残しました。
海路で大坂に着いたのは同年2月10日でした。約3ヶ月間、大坂・五條・富田林・岸和田・泉州各所の儒学者を訪ねまわりました。
同年2月26日泉州岡田浦から山田文英が、岸和田滞在中の松陰を訪ね会談しました。
3月3日に岸和田を発った松陰は、3月5日、泉州岡田浦の山田文英の邸を訪ねました。5日から17日の13日間、山田家に滞在しました。
現在は、当時の面影もありませんが、子孫の方が山田文英邸跡地に居住されています。
松陰は「発丑遊歴日録」に山田文英のことを次のように記載しています。
二月二十六日(前文省略)
山田文英なる者は雲(州)※現在の島根県の人なり。泉(州)の岡田に来り醫(医)業とす、亦来りて一宿す。
三月五日 熊取を発し、岡田の山田文英の家に至る。行程二里。岡田は一漁村なり。文英の門生に西川俊齋と云うものあり、紀の人なり。
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