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意外な大坂城②

意外な大阪城②

3代目の大阪城天守閣

~大阪市民の寄付金により再建~

1) 天守閣の復興が議会で可決

昭和3年(1930)11月、昭和天皇即位の式典が行われるにあたり、大阪市の記念事業として、寛文5年(1665)1月の落雷で焼失して以来約270年間失っていた天守閣の復興が、第7代大阪市長 関 一(せき はじめ)より大阪市議会に提案され、満場一致で可決されました。前大阪市長 関 淳一氏は、関 一の孫にあたります。

2) 寄付金の募集

昭和3年8月から寄付金を募集し、早くも翌年の2月に目標額の150万円(現在の600~700億円)に到達しました。天守閣に47万円、公園整備に23万円、合わせて70万円。残りの80万円は「第四師団司令部の新庁舎建設に充てられました。最も多く寄付をした人は、住友財閥の住友吉右衛門氏で25万円。続いて、三菱財閥の岩崎小弥太氏で5万円でした。

3) 天守閣再建の問題点

大阪城内は明治以降、陸軍の軍用地となっており、あらゆる施設が所狭しと建っていたため、一般の市民や観光客が、自由に出入りすることは困難であると予想されました。そのため陸軍からいくつかの条件が出され、それを認めるということで再建が進められました。その条件とは、募金額の6割を新庁舎の新築に充て、残りの4割を天守閣再建・大阪城公園の整備に充てること。また、いざという時は天守閣を軍部に明け渡すということでした。新築された第四師団司令部の庁舎は、戦後、進駐軍の本部、大阪市警察本部と移り変わり、大阪市立博物館として平成14年(2002)3月31日まで利用されていました。

4) 大阪城天守閣の再建

天守閣の建設は昭和5年(1930)5月6日に起工し、翌年の10月30日に竣工しました。(約270年ぶりに天守閣が復興しました。)豊臣期の天守閣の復興が望まれ、数少ない資料から現在の天守閣が設計されました。竣工式典は、昭和6年(1931)11月7日に行われ、同月16日から一般公開が始まりました。

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(続く)

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