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意外な大坂城 ⑧ 

意外な大坂城 ⑧ 大坂城築城前は浄土真宗総本山

 大坂城の前身が石山本願寺(大坂本願寺)

 現在の大阪城南部の一部は難波宮の内裏(天皇の寝所)がありました。

 それから約700年後、明応5年(1496)、本願寺8代目法主 蓮如が82歳のとき、石山御坊という隠居寺を建てたのが始まりです。

 山科本願寺焼き討ち事件の後、本坊が徐々にここへ移されることになり、城郭の造りを形成し、石山本願寺と呼ばれるようになりました。

 このあたりに巨石がたくさんあったことから「石山」と命名したそうです。

 11代目法主 顕如の時、織田信長から「石山本願寺の明け渡し」を要求され、信長に抵抗し合戦となります。

 最初の戦では、本願寺軍が信長軍に勝利しています。しかし、勝敗を決する打撃には至らず、元亀元年(1570)より10年間に及ぶ石山合戦が起こり、天正8年(1580)、信長に降参します。明け渡し直前に不審火により、三昼夜にわたり炎上。城郭であった寺(御坊)は、灰となり全焼してしまいました。

 石山本願寺の遺構は皆無に近いですが、雁木坂上がった左手、豊國神社の北東に「蓮如上人の袈裟懸けの松跡」があります。

 また、大阪市東淀川区の定専坊というお寺に、石山本願寺の梵鐘が残っています。

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 勝利した織田信長は、石山本願寺跡地に城郭を築きます。これが大坂城です。

 イメージとして武田信玄が川中島合戦の為に築いた海津城。あるいは極論かもしれませんが、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が一晩で築いたといわれる「墨俣一夜城」などのようなものです。

 しかし、この時の大坂城は、後世の大規模な城と大いに違っており、石山本願寺の遺構に応急処置を加えただけの城郭に過ぎませんでした。

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