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吉田松陰宿泊の地  中 左近邸跡

吉田松陰宿泊の地  中 左近邸跡                                         泉南郡熊取町

中家は平安末期、後白河法皇が熊野行幸の際立ち寄り、行宮(仮御所)とした由緒ある旧家です。中家は江戸期、岸和田藩の郷士代官として、七人庄屋の筆頭を務めた家柄です。

五門・野田・紺屋・小垣内・宮・久保・下高田の村の年貢徴収や年寄・組頭の決定権を持ち、この地の行政を委ねられていました。元禄5年(1692)には岸和田藩の藩札の札元に任命されています。嘉永6年(1853)3月3日、吉田松陰は岸和田を発ち、熊取の中 左近(中 瑞雲斎)を訪ねました。松陰は中家に3月3日から5日の3日間滞在しています。

吉田松陰著の旅日記「発丑遊歴日録」では次のような記載があります。

(嘉永6年)三月三日 岸和田を発し、熊取の中 左近(なか さこん)の家に至る、二里。醫生 佐海祐斎(さうみゆうさい)數ゝ(しばしば)来る。五日 熊取を発し、岡田の山田文英の家に至る。行程ニ里。岡田は一漁村なり。

松陰は、中 左近から清国で起こった「太平天国の乱」について詳しく聴きました。また、松陰滞在中に、熊取の医師である佐海祐斎(さうみゆうさい)が中家を訪れ、松陰と会談し漢詩の交換を行っています。

中家住宅は、昭和39年(1964)5月29日に国の重要文化財に指定されました。主屋は入母屋造り、茅葺き、妻入りで、周囲に本瓦葺の庇をめぐらしています。

中家住宅は、現在でも広い敷地を占めますが、江戸時代後期の古い図によると、今よりもはるかに大きく、主屋の東側には別棟の式台玄関のつく客殿(書院)がありました。

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