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意外な大坂城 ④

意外な大阪城 ④

3代目の大阪城天守閣<その3>

~進駐軍に占領された大阪城~

1)昭和20年(1945)8月14日の大空襲

 昭和20年(1945)8月14日午後1時ごろ、アメリカ軍のB29戦闘機145機が、大阪城とその周辺にある軍の施設・砲兵工廠を空襲しました。

 1トン爆弾をばらまいたため、民間人も含め大きな打撃を蒙りました。

 京橋駅にも5つの爆弾が落ち、700~800名の死者が出たといわれます。

2) 天守閣の被弾

 この時の空襲で、大阪城天守閣は奇跡的に壊滅せず残りました。

 しかし、2発の1トン爆弾を近くに落とされ石垣が相当ずれました。

 また、雨あられのように放たれた焼夷弾により、天守閣の屋根もずいぶん傷みました。 

 天守閣は、石垣に重みをかけないという特殊な工法で建てられていたため、大きな打撃を受けずに済みました。

3) 砲兵工廠・櫓・門などの被弾

 砲兵工廠破壊が主目的であったため、砲兵工廠の施設は壊滅状態になりました。

 また、大阪城の貴重な建物も破壊されました。破壊されたのは、徳川期に創建された二の丸二番櫓・三番櫓、伏見櫓、坤(ヒツジサル)櫓、京橋門などです。

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4) 進駐軍に占領された大阪城

 昭和20年(1945)8月15日終戦となり、9月下旬和歌山に進駐軍が上陸します。

 進駐軍は大阪城の明け渡しを命じます。

 展示資料や書物を天守閣に残したまま進駐軍が入場します。

 以後3年間、大阪城は進駐軍によって占領されました。

 昭和23年(1948)の夏、アメリカ軍から大阪市へ返還されましたが、天守閣内はさんざんに荒らされていたようです。

 返還される前年(昭和22年)には、米軍の失火により紀州御殿が焼失しています。

5) 応急復旧

 返還後、応急に復旧作業がなされて、大阪市の管理のもとで、昭和24年(1949)7月より一般公開が再開されました。

 

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