意外な大坂城 ⑪大阪城が皇居になっていたかも・・・
意外な大阪城 ⑪
<大坂遷都論>
慶応3年(1867)10月、大政奉還後俄かに「大坂遷都論」が述べられるようになりました。
鳥羽伏見の戦い後、大久保利通は、岩倉具視や三条実美に大阪遷都を説き、1月23日建白書を提出します。
「公家の天皇」から「国民の天皇」像を作り上げる事が急務と考え、これまで因習にとらわれた京都から都を移そうとしたのでした。
神戸事件、堺事件と外国との紛争が起き、天皇が大阪に行幸し、親政を行いつつ大阪を掌握し、いずれは遷都に持っていくつもりでした。
しかし、大阪行幸中、京都では「江戸遷都論」が有力になり、大阪遷都は自然消滅しました。
もし大阪遷都が実現していたら、大阪城が皇居となっていた可能背が高いと考えます。
« 意外な大坂城 ⑩ | トップページ | 意外な大坂城 ⑫ »
「大坂城」カテゴリの記事
- 大阪城をご案内します。(2017.10.23)
- 2016 春の史跡探訪 その1(2016.03.15)
- 大阪砲兵工廠と大阪城ホール(2015.10.21)
- 大坂の史跡探訪 Vol.4 大坂城(2015.07.15)
- 大阪城について 2(2015.06.06)
最近のコメント