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意外な大坂城 ⑬

徳川家康築城の天守跡 ~大坂城に2つの天守閣が並び立つ~

 豊臣秀吉の死後、勢力を拡大してきた徳川家康は、慶長4年(1599)9月9日、豊臣秀頼に対し重陽の節句のお祝いのため、伏見から大坂城に入城します。

 この頃、北の政所(秀吉の正妻)は西の丸に住んでいましたが、家康の来坂直後、西の丸を家康に明け渡し、京都の高台寺に移り住んでしまいました。

 家康は節句のお祝いが済んでも伏見に帰らず西の丸に居座ります。

 慶長5年(1600)2月~3月にかけて、家康は西の丸に天守閣の築城工事を開始します。

 姫路城も天守閣が2つ以上ありますが、大天守を中心に小天守があるといった造りです。

 しかし、この時の大坂城は、本丸と西の丸からは離れた場所に大天守が2つありました。

 家康が2つ目の天守に居座ることで、豊臣の勢力と互角であることを天下に知らしめることを狙ったのではないかと思われます。

 重要文化財に指定されている「大坂夏の陣図屏風」(大阪城天守閣蔵)に2つの天守が建っていた様子が描かれています。

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