OSAYAN情報

フォト
無料ブログはココログ

« 大阪史跡探訪Vol.11 <4> | トップページ | 私の執筆した文章が初めて本になりました。 »

大阪史跡探訪Vol.11<5>

大阪史跡探訪Vol.11 <5>

靱公園をあとにした頃、参加者に疲労がありありと見えてきました。

しかし、あと少し。

次は、「関西大学発祥の地」

0910001  0900001

「緒方洪庵の師 中 天游邸跡」

0870001

「津和野藩蔵屋敷跡」

を紹介。

参加者の中で関西大学出身者は2名いました。津和野藩蔵屋敷跡に残る「此花乃井」。

0810002  0840001

井戸水に恵まれない大阪の地では、此井戸から出る水は美味しいことが有名で、慶応4年3月、明治天皇の大阪行幸の際、宿所である北御堂(浄土真宗西本願寺津村別院)にわざわざ運ばれたといいます。

その場所から程近い、「大目橋」跡。

Pict95800001

坂本龍馬ゆかりの謎の人物、薩摩屋半兵衛の先祖 川端氏が江戸堀川に架けた橋があり、その跡地を紹介。何も痕跡がない場所でどれだけの人に伝わってでしょうか?

そのあと、少し遠回りをして「大村益次郎寓居(倉敷屋)跡」を訪問。

0780002   0790001

タイミングよくCSで「大河ドラマ総集編アーカイブス」の「花神」が放映された直後でした。

そういえば、この日、TBSドラマ「JIN~仁~」では、なんとアントニウス・ボードウィンが登場していました。なんという偶然なのでしょうか!

Dsc0470610001

薩摩屋半兵衛の菩提寺である法性寺に彼の口利きで寓居先となった縁があり、大村益次郎が京都で遭難に遭い、右大腿部切断手術を行った主治医も、ボードウィンでした。

115

大村益次郎を演じた中村梅之助さんが当時のエピソードを語っておられるところも放映されていました。おでこの広さを極端にしたところ、長谷川一夫さんから三度「主役がぶさいくではいかぬからやめときなさい」と忠告があったとか。

「酒2合と豆腐」は有名ですが、お酒を飲むしぐさは中村さんが生み出したものだそうです。

一人の男がいる。

歴史が、彼を必要としたとき忽然として現われ、その使命が終わると大急ぎで去った。

もし、維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわることであった。

中国では「花咲じじい」のことを「花神(かしん)」という。

彼は「花神」の仕事を背負ったのかもしれない。

彼、村田蔵六。後の大村益次郎である。

この倉敷屋には短期間しか住んでおらず、大坂城大手門近くに一軒家を借りました。

この家を「漏月庵」と名づけました。戦前は、ここにも「大村益次郎寓居 漏月庵跡」の石碑がありました。今は不明です。

場所は

Pict50200001 です。

続く。

« 大阪史跡探訪Vol.11 <4> | トップページ | 私の執筆した文章が初めて本になりました。 »

坂本龍馬」カテゴリの記事

幕末の志士が歩いた大坂」カテゴリの記事

大坂の史跡紹介」カテゴリの記事

大阪龍馬会」カテゴリの記事

大村益次郎」カテゴリの記事

薩摩藩関連」カテゴリの記事

大坂蔵屋敷関連」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 大阪史跡探訪Vol.11<5>:

« 大阪史跡探訪Vol.11 <4> | トップページ | 私の執筆した文章が初めて本になりました。 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

osayan

  • osayan: osayanのアルバム http://www.voiceblog.jp/y-osayan/

最近のトラックバック

カテゴリー

microad