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2011年5月

私の執筆した文章が初めて本になりました。

上町学 再発見・古都おおさか

 2009年9月15日、「陸奥一族とゆかりの絶景」というタイトルで執筆した内容が産経新聞夕刊で掲載されたのは随分昔のような気がします。

 東京出張の帰り新幹線の中で、多くの友人から携帯にメールが入りました。「おさやん! 新聞に載ってたよ!」

 新大阪に着いて真っ先に売店に新聞を買い、確かめたのを覚えています。体調は絶不調のときでしたが・・・

 学校法人追手門学院が取り組んでいた「上町学プロジェクト」。数多くの方々が執筆され、毎週火曜日の産経新聞夕刊に連載されていたものが今回「本」となって出版に至りました。

 私が書いた頃の「陸奥家墓所跡」は殆んどの方に知られず見過ごされる場所でしたが、昨年、O野さんが石碑と銘板を寄贈され、少しずつ知られるようになって来ました。

 この本には、お世話になっている職場の理事長をはじめ執行部・教授・職員の諸先輩が執筆されていて、それぞれの観点で書かれているところがおもしろいところです。

 そればかりか、私事でお世話になっている山根さんの執筆も掲載されています。

 発売:産経新聞出版 2000円

 発行:学校法人追手門学院

 「IMG.pdf」をダウンロード

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大阪史跡探訪Vol.11<5>

大阪史跡探訪Vol.11 <5>

靱公園をあとにした頃、参加者に疲労がありありと見えてきました。

しかし、あと少し。

次は、「関西大学発祥の地」

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「緒方洪庵の師 中 天游邸跡」

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「津和野藩蔵屋敷跡」

を紹介。

参加者の中で関西大学出身者は2名いました。津和野藩蔵屋敷跡に残る「此花乃井」。

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井戸水に恵まれない大阪の地では、此井戸から出る水は美味しいことが有名で、慶応4年3月、明治天皇の大阪行幸の際、宿所である北御堂(浄土真宗西本願寺津村別院)にわざわざ運ばれたといいます。

その場所から程近い、「大目橋」跡。

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坂本龍馬ゆかりの謎の人物、薩摩屋半兵衛の先祖 川端氏が江戸堀川に架けた橋があり、その跡地を紹介。何も痕跡がない場所でどれだけの人に伝わってでしょうか?

そのあと、少し遠回りをして「大村益次郎寓居(倉敷屋)跡」を訪問。

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タイミングよくCSで「大河ドラマ総集編アーカイブス」の「花神」が放映された直後でした。

そういえば、この日、TBSドラマ「JIN~仁~」では、なんとアントニウス・ボードウィンが登場していました。なんという偶然なのでしょうか!

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薩摩屋半兵衛の菩提寺である法性寺に彼の口利きで寓居先となった縁があり、大村益次郎が京都で遭難に遭い、右大腿部切断手術を行った主治医も、ボードウィンでした。

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大村益次郎を演じた中村梅之助さんが当時のエピソードを語っておられるところも放映されていました。おでこの広さを極端にしたところ、長谷川一夫さんから三度「主役がぶさいくではいかぬからやめときなさい」と忠告があったとか。

「酒2合と豆腐」は有名ですが、お酒を飲むしぐさは中村さんが生み出したものだそうです。

一人の男がいる。

歴史が、彼を必要としたとき忽然として現われ、その使命が終わると大急ぎで去った。

もし、維新というものが正義であるとすれば、彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を咲かせてまわることであった。

中国では「花咲じじい」のことを「花神(かしん)」という。

彼は「花神」の仕事を背負ったのかもしれない。

彼、村田蔵六。後の大村益次郎である。

この倉敷屋には短期間しか住んでおらず、大坂城大手門近くに一軒家を借りました。

この家を「漏月庵」と名づけました。戦前は、ここにも「大村益次郎寓居 漏月庵跡」の石碑がありました。今は不明です。

場所は

Pict50200001 です。

続く。

大阪史跡探訪Vol.11 <4>

大阪史跡探訪Vol.11 <4>

さて、<3>での靱公園はかつて「○○だった。」

○○はご存知でした?

答えはこれ。

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写真だけではわかりませんよね。

昭和20年、大阪大空襲によりこの地にあった民家はほぼ全焼。

焼け野原に作られたのが「米軍の飛行場」です。

大阪城も連合軍に占拠されています。占拠中に「紀州御殿」が火事で全焼してしまいます。

近年まで管制塔が残っていました。

今は、大阪市民の憩いの場。当日もたくさんの家族連れが休日を楽しんでおられました。

この靱公園にあったテニスコートは宮本 輝の「青が散る」という小説が舞台地となりました。

彼が通った大学に「ミュージアム」があるのはご存知ですか?

詳細は下記HPへ

http://www.oullib.otemon.ac.jp/teru/index.html

大阪史跡探訪 Vol.11<3>

大阪史跡探訪 Vol.11<3>

吉田屋をあとにし北へ進みました。

四ツ橋筋の信号待ちの際、「四ツ橋」の由来を説明。

川の交差点(西横堀川と長堀川)があったことを説明すると意外と驚きの反応がありました。

さらに市電も交差していたんですね。

靱公園に到着し15分休憩。

五代友厚邸を説明。五代友厚邸へ頻繁に大久保利通が宿泊していました。

大久保利通日記には五代友厚と囲碁をしていたことが記載されています。

また、幕末の功労者であり大久保や西郷の活躍を支えた小松帯刀についても触れる。

小松帯刀は明治3年(1870)7月、大阪で亡くなります。

五代友厚は、側室だったお琴とその娘スミを邸にて面倒を観ています。

琴も明治7年に亡くなり小松帯刀墓所(当時は夕陽丘にあった)の側に永眠します。

五代友厚は幾度かお墓参りをしています。

そのような話をしあと、靱公園について説明。

大阪市のど真ん中にこれだけの広大な公園がなぜできたか?

「公園になる前、ここは何があったでしょうか?」と参加者にクイズを出しました。

答えは次回に

大阪史跡探訪 Vol.11<2>

大阪史跡探訪 Vol.11<2>

旧西長堀川(現長堀通り)を北へ渡り、西区役所前へ。

細野ビルヂングと道標を案内。

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そこから北に行き「鰹座発祥の地」碑を案内。更に北に行き「薩摩藩蔵屋敷(下屋敷)跡と薩摩藩御用商人 濱﨑太平次の「ヤマキ大坂支店」跡を紹介。

「hamasakitaheiji.xls」をダウンロード

そこから東へ進み新選組ゆかりの地へ。

まずは新選組局長 近藤 勇 の愛妾 深雪太夫がいた「折屋」跡を紹介。

そこから北東へ「吉田屋」跡。(かつて「フーセンうさぎ」だったはずが、テナントのないビルに変わったいました。

新町九軒跡地とその碑がかけ離れていること、また、松尾芭蕉の句碑を紹介。

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新町花街の東端にあった芭蕉句碑はいまだ行方不明となっています。

<続く>

大阪史跡探訪 Vol.11 嵐から快晴に

大阪史跡探訪 Vol.11 嵐から快晴に (2011.5.22)

<実施報告その1>

2011年5月22日13時。長堀駅に30名を超える参加者をお迎えし、大阪史跡探訪Vol.11がスタートしました。

受付で「大坂の史跡探訪 ~龍馬の足跡~」の製本されたテキストが皆さんに配付されました。いつもと違う感覚でした。不覚にも事前に送っていただおていたテキスト冊子を家に忘れてきたことに気づき、あわてて購入。

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参加者31名の受付が終わり、大阪市立図書館前で、挨拶とコースの概要を説明。

①最初は、とっておきのサプライズ。

同図書館に保管されている水帳の閲覧。

水帳とは何かを資料を使って説明。3グループに分けて図書館別室にて閲覧。

○「北鍋屋町水帳」

 勝 海舟寓居跡、大坂海軍塾、坂本龍馬が学んだ場所、勝 海舟・西郷吉之助初会見の場所である専稱寺の掲載されている箇所を紹介。

○「京橋弐街目」

 八軒家船宿。伏見の寺田屋と業務提携を結んでいた「堺屋源兵衛」と新選組常宿・お龍訪問の地「京屋忠兵衛」が掲載されている箇所を確認。特に「堺屋源兵衛」に記載されている「そのうち二間大道あり」も確認いただく。(この大道は高倉筋を指す)

 ※貴重な史料だけに手を震わせながら頁や貼り付け紙をめくりました。

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②土佐藩蔵屋敷跡

図書館の場所も土佐藩蔵屋敷跡に該当することを説明し、土佐稲荷神社に向かう。

そこでも十分時間をかけて史跡めぐり。

○加藤高明(内閣総理大臣 岩崎彌太郎の娘婿)の寄進した常夜燈。

○慶応三年十一月十五日に献納された常夜燈と寄進者について

 謎めいた常夜燈です。特に寄進した常夜燈は「○○年」か「○○年○月」しか示されていないのですが、これだけは龍馬暗殺の日に該当する日付まで記されていることです。近年では土佐藩の重役が寄進されていると唱えている方もおられ、追及していこうと思っています。

○土佐藩第8代藩主山内豊敷寄進の常夜燈

 この常夜燈には山内家の家紋が入っているので貴重な常夜燈です。

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○堺事件について

 堺事件の概要を説明。この境内でおみくじにより切腹者が選ばれたことを強調。

○赤穂藩勤王党など小さな藩の勤王の志士が潜伏していたことを説明。

 姫路藩の藩士で勤王派だった河合惣兵衛が捕らえられたのも土佐藩邸。

 それは参加者にそのご子孫の方がおられ、現場で教わり皆さんに披露。

○岩崎彌太郎舊邸跡

 石碑が移動しているが、実際の邸跡を説明。

 岩崎彌太郎と三菱について説明。

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○「竜馬がゆく」誕生の地

 司馬遼太郎さんが小説「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」を執筆された旧居をご案内。

 「竜馬がゆく」を読み、龍馬ファンになった方も多いことでしょう。

 つづく

大阪史跡探訪Vol.11

大阪史跡探訪Vol.11を実施します。

ようやく「大坂の史跡を訪ねて ~龍馬の足跡~」の出版となりました。

「osaka-sisekitannbou-ryoumanosokuseki.pdf」をダウンロード

その本をテキストに史跡探訪のガイドを行います。

集合場所:地下鉄西長堀駅 7-B出口付近 13時

詳細は下記HPまでアクセスください。

http://osakaryomakai.com/ibentonow.html

おおさか1

おおさか1

http://www.digibook.net/d/1a84a973b15a8c852b98c957f3436ee8/?viewerMode=fullWindow

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