龍馬が怒って薩長同盟成立
龍馬が怒って薩長同盟成立
坂本龍馬は京都に入り、すでに薩長同盟が結ばれていると思い桂小五郎に会うと、まだ成立していないどころか何の話し合いも為されていないと知り愕然とします。
理由を聞くと、孤立無援の長州藩から「同盟」の話を切り出すと、助けを乞うことになるのでそれは絶対にできない。と桂が言ったのに対し、龍馬は激しく桂に叱ります。
藩のような小さなプライドより日本という国を考えるべき!
すぐさま薩摩の西郷の寓居先にも飛んで行き、同じ内容を叱ると同時に桂のいう長州藩の事情をといてようやく両藩が集まり、龍馬が仲介のもと念願の薩長同盟が成立しました。
しかしながら、同盟の盟約に対し、桂は薩摩が信じられない為か、仲介した龍馬に念書を求め、龍馬は朱筆で覚書を書きました。
桂のこういった慎重さは、明治8年(1875)、木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、板垣退助の三者が集まり話し合われた「大阪会議」の際も同じような行動をしています。
この秘密に行われていた「薩長同盟」もすでに幕吏に漏れていました。
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