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御陵衛士

御陵衛士

  新選組の勤王佐幕派から勤王倒幕派へ離脱したのが御陵衛士(高台寺党)。

 新選組の幹部 伊東甲子太郎が、同隊士だった藤堂平助、鈴木三樹三郎、篠原泰之進らを引き連れ離脱し、別組織「御陵衛士」を作りました。

 佐幕派とは対峙する薩摩藩・長州藩側の活動を行いましたが、坂本龍馬暗殺の3日後、慶応3年(1867)11月18日、新選組による伊東甲子太郎暗殺をはじめ、遺骸を引き取りに来た御陵衛士を待ち伏せしていた新選組による奇襲で藤堂平助ら御陵衛士数名が暗殺された「油小路の血闘」でとどめをさされます。

 王政復古の大号令以降、伏見奉行所に詰めていた新選組に対し、復讐の機会を狙っていた旧御陵衛士 篠原泰之進、阿部十郎らは、同年12月18日(油小路の血闘の1ヶ月後)、新選組局長 近藤 勇を伏見の墨染め付近にて狙撃し負傷を負わせました。

 坂本龍馬暗殺は、新選組による犯行という説がありますが、伊東甲子太郎ら高台寺党をいかに撲滅させるかで精一杯だったため、新選組による犯行は可能性がないと思われます。 

 近藤 勇が板橋で斬首の刑になったのも、龍馬が新選組による暗殺と信じ込んでいた土佐藩士たちの恨みが多大な影響があると思います。

 近藤 勇、伊東甲子太郎、藤堂平助さらには坂本龍馬も非業の死だったのですね。

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