赤穂義士 大石内蔵助良雄寓居跡
赤穂義士 大石内蔵助良雄寓居跡 大阪市福島区福島1-4付近
暁 鐘成著の「攝津名所図會大成 其之ニ」に忠臣蔵で有名な「大石良雄寓居跡」が次のように記載されています。
浄祐寺の西梯起寺裏にあり、傳云(つたへていふ) 此所原天野屋利兵衛所持のざしきなりし故に良雄赤穂退居の後すべらく志バらく此に寓せしといふ
今尚四方佛の手水鉢あり是その時よりの器なりとぞ一説に此邊をいにしへより鵲の森といふよし名義詳ならず
「梯起寺」はすでに明治期には所在していませんでしたので、現在もある「浄祐寺」と古地図を手がかりに、また、長岡藩蔵屋敷の真北に「梯起寺」にあったことなどを考慮し推定地をご案内します。
なお、浄祐寺には同じ赤穂義士 矢頭矢頭長助・右衛門七父子の墓があります。
大石内蔵助寓居跡推定地
<赤穂義士 矢頭矢頭長助・右衛門七父子の墓と顕彰碑>
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