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徳川慶喜 休息の寺 唯松寺

徳川慶喜 休息の寺 唯松寺 (大阪市港区夕凪1-15-16)

慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦いで、幕府軍が思わぬ敗戦の報を聞いた徳川慶喜は、1月6日、松平容保らわずかな側近だけを伴い大坂城を脱出しました。
京橋口から出て小舟で西に下り、天保山に待機している幕府軍艦を目指しました。
安治川河口において、幕府軍艦に乗り込むための小船を調達させている間、慶喜が寺で休息しました。
小舟が見つかり出発すると、慶喜一行は休息した寺から梵鐘の音が聞こえたと、側近の記録に残っているそうです。
その寺は、唯松寺の可能性が高いといわれています。
徳川慶喜が休息した寺(唯松寺)付近は、現在、安治川の拡幅により埋め立てられています。唯松寺の現在の所在地は上記のとおり、移転しています。

大坂城内で撮影されたといわれる最後の将軍 徳川慶喜

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