夕陽丘に新しいスポット!
夕陽丘に新しいスポット!
大阪市天王寺区夕陽丘。この「夕陽丘」の命名者が誰なのか・・・。
あまり知られていませんでしたが、(今回も)yuki-utaさんによる寄贈で「夕日岡(夕陽丘)命名の地」という石碑、並びに説明板のリニューアルの除幕式が10月2日(土)15時に催されました。
場所は夕陽丘にある稱念寺(天王寺区夕陽丘町5-3)。
稱念寺のご住職様が、法要の読経が行われ、その後参列者の焼香。
寄贈者であるyuki-utaさん(万福寺の新選組大坂旅宿跡」の寄贈者)からの挨拶。
ご住職様とyuki-utaさんにより、上記石碑と新しくなった案内板の白布が取りう除かれ披露され、参列者一同「お~!」という歓声とともに拍手が起こりました。
石碑は、正面に「夕日岡(夕陽丘)命名の地」。東側面に「伊達宗広 陸奥宗光 墓所跡」。西側面に「小松帯刀墓所跡」と刻まれていました。
そのあと指名により、私がご住職様の補足説明として、この地のゆかりをご紹介させていただきました。夕陽丘の命名の由来、創名者伊達宗広について、陸奥宗光・小松帯刀について・・・
除幕式後、稱念寺内にて乾杯。非公開の参内を見学。
寄贈者及び稱念寺さまの尽力で、「伊達宗広」「陸奥宗光とその家族」「小松帯刀」のゆかりの地として認知度が上がると思います。
以前より次のような遺構がありました。
陸奥宗光が実父 伊達宗広を顕彰する碑「夕陽丘阡表」。
陸奥宗光の長女 清子(さやこ)が20歳で病死したのを哀れみ、この地に清子の等身大で建立された「清地蔵」。
陸奥宗光の二男が養子として古河家に入った関係で、古河市兵衛寄贈の常夜燈。
宗光が亡くなると、宗光に恩恵を受けた原 敬の「陸奥宗光追慕の碑」。
これらは稱念寺の外に建立されていながらも、訪れる人は西にある「家隆塚」に一直線。
そういえば、大阪の歴史案内エキスパートといわれる先生が、「この碑(上記の碑)は、藤原家隆を顕彰する碑でして・・・漢字ばかりで読みづらいですが・・・」と案内されていましたっけ。
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