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坂本龍馬ゆかりの地 阿倍野・住吉周辺

坂本龍馬ゆかりの地 阿倍野・住吉周辺

坂本龍馬は、脱藩(文久2年3月)の約4ヶ月前に来坂しています。
そのときに訪れた阿倍野・住吉周辺のゆかりの地をご紹介します。
「維新土佐勤王史」に抄録されている「望月清平陣営日記」には、次のように記されています。

文久元年十一月六日、坂本龍馬、旅宿新町より住吉陣営へ書状来(小生宛)、長州より来る趣。
同十一日、旅宿に訪ひ面会。

龍馬は剣術詮議という名目で、文久元年(1861)10月、讃州  丸亀藩へ向かい旅立ちますが、実質は武市半平太の書状を長州藩士 久坂玄瑞へ手渡すために長州 萩に向かうのが主目的だったようです。
萩に到着したのは11月上旬と思われ、久坂玄瑞の日記には「十一月十一日帰家」とあります。龍馬が訪れた時、久坂は帰宅しておらず不在だったと思われます。
そこで龍馬は、久坂の帰りを待たずに大坂へ向かい、望月清平に会ったと解釈されます。望月清平との面会場所である新町の旅宿は、史料不十分のため判明できません。
その後、再度、長州萩に向かい、文久2年(1862)1月14日、萩に到着し翌日の15日、久坂との面会がかないました。
久坂と数回会談した龍馬は、多大な影響を受けたと思われます。1月23日、萩を出発した龍馬は、再度、大坂へ向かいます。「維新土佐勤王史」には次のように記されています。

文久壬戌二月八日の事なりしが、坂本龍馬は飄然長州より中国路を経て大坂に井で、即夜住吉陣営に来りしかども、深更ゆゑ営門已に閉ちたれば、坂本は止むなく住吉神社の通夜堂に入りて、疲れしまゝに甘睡せり。
参詣男女の笑ふ声に目を覚ませば、さす日影は午にも近かりき、先づ使を走らし、営内の同志に告げ知らすや、檜垣清治来りたれば、相携へて阿部野の古戦場を散歩し、南朝の柱石 北畠顕家の墓を弔ひ、日暮に三文字屋に投宿す。
翌日より望月清平、安岡覚之助等、交も来りて時事を快談せしが、(中略)坂本は留ること四五日にして事情視察の為めに京師へ向けて立ち去りし(以下省略)

大坂を発った龍馬は京都を視察したうえで、土佐へ2月29日に帰着。
その1ヵ月後、3月24日に脱藩をします。

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