勝 海舟宿泊の地 加太
勝 海舟宿泊の地 加太
勝 海舟は砲台および友ケ島防禦の件で加太(和歌山市加太)を何度も訪れています。
安政2年(1855)2月23日頃から30日頃にかけて、勘定奉行 石河政平(従者55人)および目付 大久保忠寛(従者33人)に勝 海舟(従者6人)が随行し、伊勢・大坂湾の海岸巡視を行いますが、岸和田を訪れた後、加太を来訪しました。
「公儀御巡見衆加太浦宿割控」(幸前家文書)によりますと、
○石河土佐守(御勘定奉行)従者含めて56人、宿「柳屋善助」「網干屋吉三郎」「北川屋佐兵エ」(11名の役人名の記載があるが省略)
○大久保右近将監(御目付)従者含めて34人、宿「利光平兵衛」「大坂屋平次郎」(6名の役人名の記載があるが省略)
○勝 麟太郎(奥田主馬支配 小普請組)従者含めて7人、宿「魚屋彦太郎」
勝 海舟の宿泊先は「魚屋彦太郎」邸であることがわかっています。しかしながら「魚屋彦太郎」邸跡地は、まだわかっていません。大久保忠寛の宿泊先は、加太の庄屋を務めていた利光平兵衛の邸でした。
この時の巡見により勝 海舟は、摂海防衛には加太・友ケ島は重要地点であると評し、江戸湾入口と対比して摂海入口は加太が浦賀と同じような価値のある場所と判断しています。また、加太で軍艦の造船所候補地とも考え、浦賀奉行に準じる加太奉行を設置し、幕府の直轄領にすべきであると主張しています。
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