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勝 海舟寓居(福島屋 清水平右衛門邸)跡

勝 海舟寓居(福島屋 清水平右衛門邸)跡

紀州藩家老 久野丹波守は、同藩の浜口儀兵衛に指示し、勝 海舟に砲台と海岸警備の検分を依頼しました。

文久3年(1863)3月29日の勝 海舟日記に御書付として次の内容を記載しています。

◎御書付

紀伊殿御領分海岸、砲台の儀につき、其方へ御談じなられ度き旨、仰せ立てられの趣もこれあり候間、紀州へ罷り越し、久野丹波守申し談じ候よう致さるべく候。

3月30日紀州へ向かうため出立し、その日は岸和田で1泊しています。4月1日は泉州田川(現在の岬町多奈川谷川)へ1泊。4月2日は加太で1泊。4月3日に和歌山へ到着しています。和歌山では加太を行き来しながら4月13日まで滞在します。その間は、紀州藩第14代藩主徳川茂承(もちつぐ)への拝謁をはじめとして、藩の重役と海防、砲台、海軍の必要性などについて議論を交わしました。

勝 海舟はの屋敷を寓居先として滞在しました。4月3日から13日まで紀州藩領内に滞在し、和歌山城下では福島屋という清水平右衛門南海和歌山市駅から東南に行った所にある「ファミリーショップ・クイノセ」の前に石碑があります。

この福島屋には、前述の南方熊楠の父 南方弥兵衛が番頭を務めていたことがあり、熊楠は父から勝 海舟が滞在していた話を聞いていたそうです。

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