坂本龍馬脱藩の日
坂本龍馬脱藩の日
文久2年(1862)3月24日、同郷の沢村惣之丞とともに脱藩しました。
龍馬らは、先に脱藩した吉村寅太郎が待っている長州を目指します。
愛媛県の長浜には吉村寅太郎、坂本龍馬宿泊の地という石碑が在ります。
時代は、もう動いていました。土佐では直後に藩の参政 吉田東洋の暗殺。
薩摩では、島津久光が上京のため1000名の兵を引率し出立。
京では討幕の挙兵をあげる機運が高まり、島津挙兵に歓呼する。
しかし、伏見寺田屋にて薩摩藩同士の地の争いがあり、機運が鎮火する。
龍馬は下関の白石正一郎邸に到着。
その後、行方がわからなくなります。(一説には薩摩へ向かったものの薩摩藩領内には入れなかったといいます)
その後、行方がわかるのは大坂でした。同年、閏8月に千葉定吉道場に寄宿します。
佐那さんとの再会になります。
先般、佐那さんの錦絵が見つかったと新聞に載っていましたが、あれは間違いだったようです。ご本人も恥ずかしい思いをしたとおっしゃっていたとか。
でもその後、佐那に関するものが宇和島藩の史料にあったことを発表され、やはり研究者はすごいと思いました。
取り留めの無い内容になってしまいました。
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