坂本龍馬の来坂
坂本龍馬が大坂に来る
坂本龍馬がまだ脱藩する前、剣術修行を名目に土佐を後にし、文久元年(1861)11月11日に、住吉陣営に詰めていた土佐藩藩士 望月清平と龍馬宿泊の地で面会しました。
そのあと龍馬は、長州の萩に向かい同2年1月14日萩に到着。15日と17日に長州藩士 久坂玄瑞と面会しました。
久坂と面会したことで龍馬の人生は大きく影響を受けることとなります。
同年1月23日、萩を発ち再び大坂へ向かいます。
2月8日住吉陣営に着き望月らと面会を求めますが、深夜の為かなわず、住吉大社の通夜堂で宿泊します。翌日、昼前に起きて檜垣清治とともに、南朝期の阿倍野古戦場と北畠秋家の墓参りをしています。9日、維新土佐勤王史には「新町三文字屋」に宿泊したとありますが、住吉から新町というのは距離的に不自然がありますが、新町の三文字屋に投宿したとあります。
10日、望月清平、安岡覚之助らが寄宿先を訪れ、龍馬と面会しました。
翌月の3月24日、龍馬は土佐藩を捨て脱藩することとなるのです。
さて、この「三文字屋」は大阪市西区の新町とばかり思い込んでいましたが、住吉の新家にあった三文字屋の可能性が高いことがわかりました。
住吉大社の方からご教示いただいたのですが、東海道中膝栗毛にも登場していて、200人が参集し宴会できる広さを持つ大きな料亭旅館だったようです。
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