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慶応4年1月8日 大坂城明け渡し

慶応4年1月8日 大坂城明け渡し

 正月八日、大坂城代 牧野越中守から尾張藩徳川家、越前松平家へ大坂城を引き渡したと【「維新期大阪の役務記録-見聞記、幕末大坂雑記、慶應四年日録-」大阪市史編纂所発行】に記載があります。

 戦うことなく城が明け渡されたかに思えましたが、そうはいきませんでした。

 翌日、九日、朝六つ半頃、大砲の音響とともに、次々と大坂城内が焼失していき、翌十日は焔硝蔵に火が移り再度大爆発し、その後鎮火したそうです。

 鎮火後の大坂城の内容はイギリス外交官 アーネスト・サトウが、廃墟となった大坂城を訪れ、その様子を克明に観察し日記に残しています。

 面白いのは長州ファイブのうちの一人遠藤謹助と場内で出会い、事の成り行きをサトウは聞いています。(「遠い崖」萩原延壽/著第6巻「大政奉還」のP168~を参照)

 ☆再度、大坂城の落城によって次の政権に大きく影響を与えました。

 前にも触れましたが、岩倉具視や大久保一蔵は、天皇を大阪に行幸させ、都を京都から大阪に移す考えがあり、天皇の行幸を推し進めることになります。

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