「龍馬伝」のテーマ曲に流れる古写真
NHK大河ドラマ「龍馬伝」について
第3回目が終わりましたが、おさ姫は「JIN -仁-」の時とは違い、全く興味が無い様で、テーマ曲の画像が「怖い」と言ってます。
テーマ曲に関わらず、どろくさいところが私は迫力があり好きなのですが、この時代に詳しくない人が頑張って観よう思っている人には、少し重たい感じがするような気がします。
さて、テーマ曲で流れている画像で、水晶のような円の中に人物の古写真が次々に7枚出てきますが、みなさんが知っている写真は何枚ありますでしょうか?
この写真の人物全員が、ストーリーに大きく影響があるとすれば、1枚だけ謎かけの写真が流れています。
1枚目:土佐藩参政 吉田東洋の甥 この人物と手を組んで坂本龍馬は「土佐海援隊」を率いることになります。まもなく登場するはずです。イギリス外交官アーネスト・サトウは「(人名)はかしこい人物である。西郷をのぞくと、これまで会ったどの日本人よりもすぐれている」と絶賛しています。(そうかなぁと思いますが、「イカルス号事件」でイギリス公使パークスと互角に堂々と交渉に臨んだ言動を観てサトウはそう思ったのでしょう。)
2枚目:龍馬と並んで幕末の志士で人気のある人物です。武士以外の農民などから兵を募集した組織を作ったり。一人で旗揚げ(決起)し、佐幕から討幕に転換させた人です。坂本龍馬はこの人物から、ピストルをもらったことは有名です。
3枚目:逸話ですが、神道無念流 斎藤弥九郎の錬兵館の塾頭をしていた彼と、北辰一刀流 千葉定吉の道場の塾頭していた坂本龍馬と剣道の試合をしたとか・・・ この人物は用心深く、各地に「○○の潜伏の地」という史跡が多く、但馬地方 中でも出石に多いようです。薩長同盟の際、先方を100%信用していないため仲介した龍馬に、証明する文(裏書)を書くよう頼まれ、龍馬は朱筆で裏書を書いています。
4枚目:龍馬の師匠です。この師匠も身分が低かったのですが、才能が認められ重責を担います。将軍に直訴し海軍操練所を神戸に作ります。江戸城無血会場のときにもこの人物の尽力により江戸の戦火から救ったといわれます。
5枚目:外国人の中で龍馬が一番多く関わった人物です。邸宅は現在も残っていて観光の名所となっていて、2009年紅白歌合戦で中継で放映されました。
6枚目:なぜこの人物を選んだのか、悩むところです。長州ファイヴのうちの一人で、幕末期、遭難にあい滅多斬りにされ大重傷を負いながら助かった人です。
7枚目:問題の2人の写真です。6枚目以上に謎です。
皆さん誰だと思われますか?
もったいぶって申し訳ありませんが次回にしたいと思います。
「龍馬伝」4回目は、いよいよ龍馬が江戸に着き、舞台は千葉道場になります。嘉永6年(1853)です。江戸に向かっていたのは龍馬だけでなく、開国を求めようとするペリー提督。謹慎のみにありながら遊学の許可を得て、萩から江戸まで各地の有識人を訪ねながら江戸をめざしていた吉田松陰。1年早く到着していた3枚目の写真の人物。
ドラマではどのような展開になるか、楽しみです。
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