大阪にある坂本龍馬ゆかりの地 その2
大阪にある坂本龍馬ゆかりの地 ②
ガイドブックにある坂本龍馬のゆかりの地といえば、高知、東京(江戸)、京都、福井、神戸、下関、長崎、鹿児島 なのですが、大阪にもたくさんあります。
私が所属する「大阪龍馬会」では、2000年より「大阪史跡探訪」をこれまで9回行いましたが、坂本龍馬ゆかりの地をご案内してきました。
今回、初めてご紹介する地は、坂本龍馬が脱藩前、長州の久坂玄瑞に会いに行った後、大坂に来たと「維新土佐勤王史」に記されています。
久坂玄瑞との会談を終え、萩を発ったのが文久2年(1862)1月23日でした。
「維新土佐勤王史」によると2月8日、住吉大社のやや北部に建設した土佐藩住吉陣営に望月清平ら土佐勤王党の仲間に会うため立ち寄りました。しかし、夜が更けていて入れず住吉大社で一夜を過ごし、檜垣清治と南北朝期の史跡「阿倍野の古戦場」を訪ねたあと、「北畠顕家の墓所」に行き墓参りをしました。
その日は大坂新町の「三文字屋」に投宿し、翌日、望月清平、安岡覚之助が龍馬を訪ね、快談しました。土佐に帰着したのが同年2月29日です。
その1ヵ月後、龍馬は脱藩します。
この来坂は、単なる観光ではなく龍馬の人生を左右する一因の一つだと思います。
久坂玄瑞や大坂在勤中の土佐藩士からの情報を整理し、龍馬の決断は土佐を抜けることに至ったと思います。
「勤王」
太平洋戦争の戦時中も天皇の存在は貴いものでしたが、江戸期まで源氏による武家政権が続き、征夷大将軍こそが最上の人と思っていたに違いありません。
古代よりの歴史を史って初めてそうではないのだと悟った時、天皇こそが主で、徳川家は一大名に成り下がってもかまわない家系と知り、だらしない幕府に抵抗するため、志士は京都に集まったのでしょう。
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