大阪旅めがね
2010年大阪旅めがね
すでに各エリアでツアーが催行されています。
約2時間で思わぬ体験(試食やプレゼントや手作り作業)と隠れた名店、品、風景などが満喫できる内容となっています。
案内する各エリアの案内人(エリアクルー)は、各エリアの厳しい研修を重ね、合格した方がお客様をご案内します。
ぜひ、新しい大阪の街を発見してください。
「大阪旅めがね」の詳細は
です。
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2010年大阪旅めがね
すでに各エリアでツアーが催行されています。
約2時間で思わぬ体験(試食やプレゼントや手作り作業)と隠れた名店、品、風景などが満喫できる内容となっています。
案内する各エリアの案内人(エリアクルー)は、各エリアの厳しい研修を重ね、合格した方がお客様をご案内します。
ぜひ、新しい大阪の街を発見してください。
「大阪旅めがね」の詳細は
です。
龍馬が歩いた大坂④ 住吉周辺
先般、龍馬が投宿したという「三文字屋」跡に、今日取材しようと思います。
紀州街道沿いにあたり、土佐藩住吉陣屋も紀州街道沿いにありました。
住吉大社でも一泊しています。
今年は大阪旅めがねで「街道を歩く」というプレミアムツアーを実施したいと思っています。
そろそろ中味を詰めないといけないのですが、資料収集と現地取材でまだ青写真しかできていません。大河ドラマとマッチングして良いプログラムにしたいと思っています。
「上町学プロジェクト」の街歩き
学校法人追手門学院で推進中の「上町学プロジェクト」で下記テーマの街歩きが決まり参加者を募っています。
歌舞伎の古都を巡る~名作所縁の地を歩く~
詳しくは
http://www.otemon-osakajo.jp/uemachi/event/index.html
を御覧ください。
講師は河内厚郎氏(追手門学院大学客員教授、関西経済同友会幹事)。
生國魂神社にある井原西鶴像のモデルになった方でもあります。
私の「夕陽丘コース」とは違ったコースで視点も違います。
ぜひご参加ください。(参加費は無料です)
勝海舟の誕生日
文政6年(1823)1月30日、勝 海舟が誕生しました。
歴史を動かした人物ですが、貧しい幕臣の家に生まれながらも、時代が優秀な人材を登用する流れになって活躍の場をつかみます。
勝 海舟の功績をあげれば数多くあげられます。
しかし、幕臣にこだわったところに明治新政府樹立後は、それほど表に出てきませんでした。
海舟を嫌っていた徳川慶喜に最後まで忠義を尽くしたのが、明治天皇との謁見でした。
何度も裏切られお役御免という仕打ちを受けながらも、忠義を貫き通した生き様はたいしたものだと思います。
回想録におおきなホラがなければ言うことがないのですが。
勝海舟の会って態度を変えた人物は何人いるでしょうか。
阿部正弘、島津斉彬、西郷吉之助、坂本龍馬、ハリー・パークス、新門辰五郎、徳川家茂・・・。
まだ忘れている人物があるかもしれませんが、大変な影響力です。
江戸城無血開城も簡単にいったのではなく、水面下で相当な尽力をしています。
大阪にも勝海舟ゆかりの地がたくさんあります。機会があればご紹介していきたいと思います。
大阪日日新聞
大阪龍馬会・大阪の史跡紹介
先般、約2時間にわたり大阪日日新聞の取材を受け、1月28日(木)に掲載されるとのことです。
内容は読んでみないとわかりませんが、「大阪あそ歩」の連載されている枠に掲載されるようで、「大阪龍馬会の活動内容」と「大阪にある坂本龍馬の史跡」について話をさせていただきました。
特に勝海舟寓居跡となる専稱寺跡について語りましたので、その詳細を掲載いただけるかと思います。
「龍馬伝」第4回
龍馬伝の第4回、ついに舞台は江戸へ移りました。
千葉道場のセットが良かったですね。
三大道場のうちのひとつ北辰一刀流千葉道場は現在も継承されているようですね。
佐那さんのクール、剣の強さが良かったですね。
桂 小五郎も登場しました。桂 小五郎はテーマ曲に登場する人物写真のうちの一人です。
明治期には木戸孝允という名前に変わる人で、維新の功労者の一人です。
次回は、大物が2名出てくるようで、また楽しみですね。
大阪にある坂本龍馬ゆかりの地 ③
本日、住吉大社のK様より、資料並びに貴重な情報をいただきました。
住吉大社は薩摩藩祖である島津忠久生誕の地でもあり、誕生石といわれる石が残っていて、神社ではなく薩摩藩により常夜燈など整備を行い、定期的に薩摩藩からここ誕生石を訪れ、現在も継続されているそうです。
幕末期、坂本龍馬もこの住吉大社内で投宿しました(文久2年2月)、また、篤姫が13代将軍の妻となるため薩摩から堺に着き、住吉大社に訪問しています。また、新選組から脱走した隊士、酒井兵庫が住吉大社に潜伏しました。結果的には沖田総司に見つかり殺害されたようです。
また、龍馬が訪れた際、その次の日は「三文字屋」に投宿していますが、K様の教示により場所の確定がほぼ高い確率で判明しました。
長州藩、土佐藩との関わりが深く、歴史が非常に感じられます。
詳細は、大阪龍馬会等で発表していくつもりです。
「龍馬伝」のテーマ曲に流れる古写真 続編
前回触れました、NHK大河ドラマ「龍馬伝」のテーマ曲が流れている際、登場する写真の人物は誰か?
1枚目は 後藤象二郎(土佐藩 坂本龍馬の有名な写真と同じ撮影所で上野彦馬が撮影しました)
2枚目は 高杉晋作(長州藩)
3枚目は 桂 小五郎(長州藩 のちの木戸孝允)
4枚目は 勝 海舟(龍馬の師匠)
5枚目は トーマス・グラバー(岩崎弥太郎や亀山社中、海援隊に大きくかかわった)
6枚目は 井上聞多(長州藩 のちの井上 馨)
7枚目は 2名の薩摩藩士 名前は不明
です。
寺田屋騒動 龍馬危機一髪! 2
文久2年(1862)4月23日、伏見にある船宿「寺田屋」で薩摩藩士による凄惨な同志討ちが行われました。
この事件は有名で、今回の「寺田屋騒動」と混合されがちです。舞台が同じ場所だからです。
※寺田屋事件について:薩摩を特に研究されている歴史作家 桐野作人さんによる「さつま人国誌<幕末・明治編>」(南日本新聞社発行)はお薦めです。
さて、慶応2年(1866)1月23日の夜、薩長同盟が結ばれたのを確認し、安堵して寺田屋に戻った坂本龍馬は、長府藩士 三吉慎蔵と祝杯を挙げました。
日が変わり深夜、翌日の2時頃、伏見奉行所の捕り方多数が、寺田屋を包囲し龍馬を捕縛しようとしていました。
後に龍馬の妻となる楢崎 龍(おりょう)が、風呂に入っていると武器を手にした捕り方がいるのを発見し、隠し階段から2階にいる龍馬に知らせたといわれています。
龍馬は、高杉晋作からもらったピストルで応戦、三吉慎蔵は得意の槍で応戦。
龍馬は手の指を切られ重傷を負いますが、包囲網を突破しおりょうの機転により薩摩藩に匿われ難を逃れました。
寺田屋から逃走した材木小屋跡、薩摩藩の伏見藩邸跡が龍馬ゆかりの地となりますが、近年、薩摩藩邸跡に石碑が建てられました。
これがきっかけで龍馬は薩摩藩に守られて鹿児島へ。おりょうと新婚旅行をします。
大阪にある坂本龍馬ゆかりの地 ②
ガイドブックにある坂本龍馬のゆかりの地といえば、高知、東京(江戸)、京都、福井、神戸、下関、長崎、鹿児島 なのですが、大阪にもたくさんあります。
私が所属する「大阪龍馬会」では、2000年より「大阪史跡探訪」をこれまで9回行いましたが、坂本龍馬ゆかりの地をご案内してきました。
今回、初めてご紹介する地は、坂本龍馬が脱藩前、長州の久坂玄瑞に会いに行った後、大坂に来たと「維新土佐勤王史」に記されています。
久坂玄瑞との会談を終え、萩を発ったのが文久2年(1862)1月23日でした。
「維新土佐勤王史」によると2月8日、住吉大社のやや北部に建設した土佐藩住吉陣営に望月清平ら土佐勤王党の仲間に会うため立ち寄りました。しかし、夜が更けていて入れず住吉大社で一夜を過ごし、檜垣清治と南北朝期の史跡「阿倍野の古戦場」を訪ねたあと、「北畠顕家の墓所」に行き墓参りをしました。
その日は大坂新町の「三文字屋」に投宿し、翌日、望月清平、安岡覚之助が龍馬を訪ね、快談しました。土佐に帰着したのが同年2月29日です。
その1ヵ月後、龍馬は脱藩します。
この来坂は、単なる観光ではなく龍馬の人生を左右する一因の一つだと思います。
久坂玄瑞や大坂在勤中の土佐藩士からの情報を整理し、龍馬の決断は土佐を抜けることに至ったと思います。
「勤王」
太平洋戦争の戦時中も天皇の存在は貴いものでしたが、江戸期まで源氏による武家政権が続き、征夷大将軍こそが最上の人と思っていたに違いありません。
古代よりの歴史を史って初めてそうではないのだと悟った時、天皇こそが主で、徳川家は一大名に成り下がってもかまわない家系と知り、だらしない幕府に抵抗するため、志士は京都に集まったのでしょう。
上町プロジェクト
大阪旅めがねのプロデューサーである山根さんの執筆が、産経新聞で連載されている「上町に学ぶ古都おおさか 空堀 ロマンに満ちた長屋文化」というテーマです。
空堀を詳しく知りたい方は、ぜひ大阪旅めがねの「空堀エリア」のツアーにお申し込みください。
http://210.172.58.101/blog/tabimegane/area/karahori/karahori090801.html
さて、記事の内容は、早速、追手門学院のWEBでの掲示板で公表されました。新聞に掲載されていた写真は割愛されています。
焼鳥店「竜馬におまかせ」
横須賀駅近くにある焼鳥店「竜馬におまかせ」の店主 斉藤さんが、またまた本を出版されました。「坂本龍馬とおりょう」です。
斉藤さんは40歳で脱サラしてお店を開業。ほとんど休業せず頑張っておられます。
今年の初夢に坂本龍馬が現われ、「「働け働け秀一。遊びたいとか、休みたいとか、そんなこと一片でも思うな・・・・・・」といわれたそうで、5日から開始のところを3日から開店し、お客さんとともに「龍馬伝」の第1回を見られたそうです。
ほんの詳細等は新聞記事に取り上げられたと連絡をいただきましたので、お近くの人はぜひお店に行き本を買っていただければと思います。
http://yokosuka.keizai.biz/headline/260/
薩長同盟難航
龍馬が京都に到着し桂小五郎の宿舎を訪れ、薩長同盟の話が進んでいないことを知り、長州川の言い分を聞きます。
それを受けて、直ちに龍馬は西郷吉之助を訪ね進展していない理由を問いただします。
司馬遼太郎さんは龍馬に次の言葉を語らせたいがために「竜馬がゆく」を書き始めたと何かのコラムで読んだ記憶があります。
「長州がかわいそうじゃないか!」
NHK大河ドラマ「龍馬伝」について
第3回目が終わりましたが、おさ姫は「JIN -仁-」の時とは違い、全く興味が無い様で、テーマ曲の画像が「怖い」と言ってます。
テーマ曲に関わらず、どろくさいところが私は迫力があり好きなのですが、この時代に詳しくない人が頑張って観よう思っている人には、少し重たい感じがするような気がします。
さて、テーマ曲で流れている画像で、水晶のような円の中に人物の古写真が次々に7枚出てきますが、みなさんが知っている写真は何枚ありますでしょうか?
この写真の人物全員が、ストーリーに大きく影響があるとすれば、1枚だけ謎かけの写真が流れています。
1枚目:土佐藩参政 吉田東洋の甥 この人物と手を組んで坂本龍馬は「土佐海援隊」を率いることになります。まもなく登場するはずです。イギリス外交官アーネスト・サトウは「(人名)はかしこい人物である。西郷をのぞくと、これまで会ったどの日本人よりもすぐれている」と絶賛しています。(そうかなぁと思いますが、「イカルス号事件」でイギリス公使パークスと互角に堂々と交渉に臨んだ言動を観てサトウはそう思ったのでしょう。)
2枚目:龍馬と並んで幕末の志士で人気のある人物です。武士以外の農民などから兵を募集した組織を作ったり。一人で旗揚げ(決起)し、佐幕から討幕に転換させた人です。坂本龍馬はこの人物から、ピストルをもらったことは有名です。
3枚目:逸話ですが、神道無念流 斎藤弥九郎の錬兵館の塾頭をしていた彼と、北辰一刀流 千葉定吉の道場の塾頭していた坂本龍馬と剣道の試合をしたとか・・・ この人物は用心深く、各地に「○○の潜伏の地」という史跡が多く、但馬地方 中でも出石に多いようです。薩長同盟の際、先方を100%信用していないため仲介した龍馬に、証明する文(裏書)を書くよう頼まれ、龍馬は朱筆で裏書を書いています。
4枚目:龍馬の師匠です。この師匠も身分が低かったのですが、才能が認められ重責を担います。将軍に直訴し海軍操練所を神戸に作ります。江戸城無血会場のときにもこの人物の尽力により江戸の戦火から救ったといわれます。
5枚目:外国人の中で龍馬が一番多く関わった人物です。邸宅は現在も残っていて観光の名所となっていて、2009年紅白歌合戦で中継で放映されました。
6枚目:なぜこの人物を選んだのか、悩むところです。長州ファイヴのうちの一人で、幕末期、遭難にあい滅多斬りにされ大重傷を負いながら助かった人です。
7枚目:問題の2人の写真です。6枚目以上に謎です。
皆さん誰だと思われますか?
もったいぶって申し訳ありませんが次回にしたいと思います。
「龍馬伝」4回目は、いよいよ龍馬が江戸に着き、舞台は千葉道場になります。嘉永6年(1853)です。江戸に向かっていたのは龍馬だけでなく、開国を求めようとするペリー提督。謹慎のみにありながら遊学の許可を得て、萩から江戸まで各地の有識人を訪ねながら江戸をめざしていた吉田松陰。1年早く到着していた3枚目の写真の人物。
ドラマではどのような展開になるか、楽しみです。
慶応2年1月19日
1月18日、坂本龍馬と三吉慎蔵は大坂の薩摩藩邸に立ち寄って薩摩藩の旗印を借りています。その夜、大久保一翁をたずね身の危険を知らされます。
そして、八軒家船着場より三十石船で伏見に向かい、夜、寺田屋に投宿します。八軒家には新選組が人別改めを行っていたと三吉慎蔵の日記に記されています。
余談ですが、龍馬はこの日、風邪をひき、発熱しながらの旅でした。
横須賀市にある「やきとり竜馬におまかせ」の店長 斉藤さんが、咸臨丸出港150周年にあたる1月19日に湘南海援隊文庫第4刊「坂本龍馬とおりょう」を発刊されます。
お申し込み詳細は下記をご参照ください。
安政7年(1860)1月19日
日米修好通商条約が結ばれ、「条約批准書」の交換のため日本からアメリカへ施設が派遣されることになり、勝 海舟はここぞとばかりに、アメリカ軍艦ポーハタン号とは別に日本人が操縦した船をもう1隻出すべきと提言しました。
長崎において幕府が創設した「海軍伝習所」開かれてわずか5年。反対意見もありながら実現することになり、咸臨丸でポーハタン号の非常に備える意味でアメリカへ航行することになりました。
浦賀から出港したのが、安政7年(1860)年1月19日。
今年はその150周年になります。
坂本龍馬の妻 お龍さんの命日
明治39年(1906)1月15日。坂本龍馬の妻 龍は、波乱な人生に幕を閉じた日です。慶応2年(1866)1月24日に起きた「寺田屋事件」では、伏見奉行所の襲撃に対し、坂本龍馬を救っていることや、日本初の新婚旅行など幕末期は華々しかったが、龍馬の死後、彼女の人生は決してよかったとはいえません。
しかしながら、回顧録を残したおかげで、龍馬の活躍をさらに詳細を知る手がかりを残すことになりました。大坂の薩万の所在は非常に大きな手がかりとなりました。
読売新聞の朝刊では、100数年ぶりの再会ということで坂本龍馬夫妻の合同法要が、横須賀市の信楽寺で営まれるとの事です。
坂本龍馬ゆかりの地
大阪&大坂をテーマにしたブログですので、大阪にある坂本龍馬および土佐海援隊ゆかりの地をご紹介したいと思います。
坂本龍馬が長州へ
坂本龍馬が脱藩する前、文久2年(1862)1月14日、長州萩にいる久坂玄瑞(義助)に会いに行っています。
そこで武市半平太以上に日本の情勢を久坂から聞くことになり、これが原因で脱藩につながったといわれています。
この久坂玄瑞訪問後、龍馬は大坂の住吉陣屋の同士に会いに来坂し、土佐へ帰ります。
慶応3年(1867)1月13日
長崎の料亭「清風亭」にて土佐勤王党を弾圧した後藤象二郎と、土佐を2回脱藩し、「亀山社中」を率いていた坂本龍馬が会見を行いました。
イギリス外交官アーネストサトウは、後藤象二郎ほど度量の大きい人を見たことがないと評していて、坂本龍馬については「イカルス号事件」で直接交渉し、余り好印象は持っていなかったようです。
この階段により坂本龍馬率いる「亀山社中」を後援していた薩摩藩から、土佐藩へと変わり「土佐海援隊」が誕生することになります。
慶応4年1月11日 天満橋北詰で新選組隊士 小田数馬梟首
本隊はこの日、富士山丸にて兵庫から江戸に向かい出港し、紀州の由良港で碇泊しました。
別行動を取っていた、同隊士 小田数馬は、新政府軍の岩国藩兵により殺害されています。
ただし、小田数馬という名前は隊士名簿にない名前で、新選組でなかったか、または名前を間違えたと思われますが、当時の町人の日誌に記録として残っています。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の原作本
1月3日スタートした今年の大河ドラマ「龍馬伝」の原作本が発売されていますが、先日第1巻を読み終えました。第4巻まで発売されるようですが、第2巻の発売予定が今春なので待ち遠しい気持ちです。
久しぶりに「竜馬がゆく」を読んでいるときの気分に浸りました。
小説ということで史実にない場面もありますが、お勧めの一冊です。
京都の土佐藩邸跡にある「土佐稲荷岬神社」の龍馬像がきれいに修復されたそうです。
演劇集団キャラメルボックス1995サマーツアー
「また逢おうと竜馬は言った」
龍馬が好きになり幕末研究を始めると同時に、演劇世界にも首を突っ込んだ頃は、龍馬に関連するお芝居は、よく行った。
印象が最も残っているのは、上川隆也が演じる竜馬。
彼はテレビ時代劇「竜馬がゆく」でも坂本竜馬役を演じています。
http://www.caramelbox.com/stage/ryouma/ryouma-intro.html
その上川さんが「龍馬伝」で中岡慎太郎役に挑戦します。
対照的な二人が「薩長同盟」を実現。龍馬は「土佐海援隊」の隊長になり、慎太郎は「土佐陸援隊」の隊長となります。それだけでなく慶応3年11月15日、龍馬寓居先の「近江屋」に両者がいるところを刺客に襲われ、落命します。
中岡慎太郎にも注目ですね。
慶応4年1月8日 大坂城明け渡し
正月八日、大坂城代 牧野越中守から尾張藩徳川家、越前松平家へ大坂城を引き渡したと【「維新期大阪の役務記録-見聞記、幕末大坂雑記、慶應四年日録-」大阪市史編纂所発行】に記載があります。
戦うことなく城が明け渡されたかに思えましたが、そうはいきませんでした。
翌日、九日、朝六つ半頃、大砲の音響とともに、次々と大坂城内が焼失していき、翌十日は焔硝蔵に火が移り再度大爆発し、その後鎮火したそうです。
鎮火後の大坂城の内容はイギリス外交官 アーネスト・サトウが、廃墟となった大坂城を訪れ、その様子を克明に観察し日記に残しています。
面白いのは長州ファイブのうちの一人遠藤謹助と場内で出会い、事の成り行きをサトウは聞いています。(「遠い崖」萩原延壽/著第6巻「大政奉還」のP168~を参照)
☆再度、大坂城の落城によって次の政権に大きく影響を与えました。
前にも触れましたが、岩倉具視や大久保一蔵は、天皇を大阪に行幸させ、都を京都から大阪に移す考えがあり、天皇の行幸を推し進めることになります。
慶応4年1月6日 新選組の大坂へ退却
(津藩藤堂家の寝返りと徳川慶喜の夜逃げ)
新選組は勇敢に戦うも高濱砲台(淀川の北岸:天王山の近くで最寄り駅は阪急水無瀬駅)
を守っていた津藩藤堂軍は旧幕府軍から寝返り、かつての見方を砲撃・銃撃を行い、旧幕府軍は大坂へ退却しました。大方は船で退却したと思われます。
新選組は八軒家にある船宿 京屋忠兵衛に投宿します。
その日の夜更け、徳川慶喜、松平容保ら旧幕府軍の指揮官が、江戸を目指し大坂城を抜け出しました。
大阪の上町台地について、毎週火曜日産経新聞の夕刊に連載しております。
これまで執筆者は、追手門学院の理事、卒業生、教職員、学院関係、同地域の著名人が毎週入れ替わり掲載しています。
私も毎週火曜日は、産経新聞の夕刊を購入するのが習性になりました。
慶応4年(1868)1月5日 淀の戦い
慶応4年(1868)1月4日、薩長軍と旧幕府軍との戦は一進一退の戦闘が続いていました。
5日、新政府が仁和寺宮嘉彰親王に錦旗を与え、薩長による新政府軍が官軍となりました。
旧幕府軍は徳川慶喜の側近だった(現職の)老中 淀藩主稲葉正邦を頼って、淀城に入り建て直しをはかろうとしましたが、淀藩は新政府と戦う意思がなく、城門を閉じ旧幕府軍の入城を拒否しました。
入城を拒絶された旧幕府軍は、淀千両松に布陣し新政府軍を迎撃し奮闘しましたが惨敗します。
この戦闘の最中、新選組結成時からの主要幹部隊士 井上源三郎が戦死しています。
「龍馬伝」に関連してか、1月3日、長崎歴史文化博物館の玄関ホールに、坂本龍馬と岩崎弥太郎の銅像が設置され披露されました。また、同館の2階にある奉行所展示ゾーンにはドラマの世界を再現する「長崎奉行所・龍馬伝館」が9日にオープンされ、約1年間展示されるとのことです。
詳細は
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20100104/03.shtml
長崎で登場する人物にも注目です。特にお元。
龍馬伝に関するクイズです。
「龍馬伝」
NHK大河ドラマ「龍馬伝」の初回視聴率が早速公表されていて、23.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったようです。これは前年の「天地人」の初回視聴率24.7%に届きませんでした。
我が家のおさ姫も、最初は「龍馬」ということと、少年時代から始まりましたので、食い入るように観ていたのですが、龍馬と岩崎弥太郎のからみのシーンが多かったのか「これ見たくない」と言って他の遊びをしだしました。
時代背景を知らない人にとっては、上司と下士の身分差別を描きすぎてつまらなくしてしまったのかもしれません。ドラマの「静と動」「強弱」がなくわりと淡々と進んでいったように思います。
しかし、龍馬ファンの私にとっては、これまでにない力作で、今後ますます楽しみになりました。
福山さんも違う番組で語っていましたが、この「龍馬伝」では龍馬だけでなく、この時代を生きた人たちがどのように考え行動していったかを伝えたい」という内容をおっしゃっていました。
授業のときでも、この幕末維新のころ、授業の残日数などで、割りと軽く流されてしまっている傾向があったように思います。予備知識がない分、真面目なドラマほど敬遠されていました。
確か「大河ドラマ 竜馬がゆく」は最低視聴率の記録を持っていて、ひょっとするとまだ更新中かもしれません。
アンチ福山のみなさん、どうか龍馬の駆け抜けた33年の生涯を、この一年じっくり観てください。
龍馬伝について
NHKが予告や関連番組を放映し、力の入れようが前年と違うのがよく感じられます。
最初のポイントは、土佐藩内の武士に身分差別問題があったことです。
下士(郷士)の家に生まれた坂本龍馬。
徳川幕府から新政府への政権交代に最も働いたのは坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太、吉村寅太郎、近藤長次郎などの下士の人たちです。
大事な人材を死に追いやった山内容堂こそ、賢候と呼ばれたいますが、私は大きな罪を犯した愚鈍な人物と思い、幕末期の最も嫌いな人物の一人です。
今回なた大河ドラマは土佐の坂本家が、割と時間を取っていて幼少の龍馬などをが描かれているのが特徴と思います。
みなさん、原作が書店で販売されています。ぜひご一読を願うばかりです。
龍馬でなく竜馬として描いた「竜馬がゆく」とは一味違った面白さがあります。
お薦めの本です。
坂本龍馬について
文久3年(1863)元日、勝海舟寓居(生島四郎別邸)にてすごした坂本龍馬、近藤長次郎、千葉重太郎は神戸を離れ京に向かいます。海舟は砲台造営のため明石に向かいます。
2010年が明けました。
本年もよろしくお願いします。
今年は、例年になくわくわくする年になりそうです。
大阪龍馬会の事務局長が早々にラジオ出演します。
詳細は
http://blog.goo.ne.jp/ryouma1026/e/4ef51a56ecdc98b1799d6f561ecb058b
までアクセスください。
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