慶応4年1月11日 天満橋北詰で新選組隊士梟首
慶応4年1月11日 天満橋北詰で新選組隊士 小田数馬梟首
本隊はこの日、富士山丸にて兵庫から江戸に向かい出港し、紀州の由良港で碇泊しました。
別行動を取っていた、同隊士 小田数馬は、新政府軍の岩国藩兵により殺害されています。
ただし、小田数馬という名前は隊士名簿にない名前で、新選組でなかったか、または名前を間違えたと思われますが、当時の町人の日誌に記録として残っています。
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