天満屋事件 (初めて新選組が襲撃に遭う) ②
天満屋事件 (初めて新選組が襲撃に遭う) ②
前回、天満屋事件を紹介しましたが、それをお読みになった方から詳しい補足説明をいただきましたのでご紹介いたします。
→紀州藩の三浦を新選組が護衛していましたが、その折の責任者は斎藤一です。吉村貫一郎もいたかも。斎藤は伊東が脱退する際、スパイに入って、油小路の決闘の前に、新選組に帰隊します。伊東との取り決めで、一旦伊東とともに脱退した者は、その後、新選組に帰れないことになっていまして、近藤は斎藤を天満屋に行かせます。
その後、斎藤は改名し、山口次郎となり、斎藤一はこの世に存在しなくなります。ちょっと、都合よすぎですけど。明治以後は藤田五郎です。(るろ剣はこっちの名で出てきます。)
海援隊が討ち入った時に宴会をしていたようで、暑くなった斎藤は、楔帷子を脱ごうとしたものの、うまく脱げず、そうこうしているうちに、海援隊が突入してきて、乱戦になります。新選組は三浦を逃がしますが、近藤の従兄弟の宮川信吉(だったかな)が亡くなります。
土方・沖田はここにいません。
この天満屋事件、私の知る限り、常にいけいけに攻めていた新選組が逆に攻められた初めてのケースです。これ以後、新選組は負けて、負けて・・になりますので、この事件は、新選組の終わりの始まりとでも言えるかもしれません。
後日談がありまして、明治期、三浦は東京都の知事になります。一方の陸奥宗光はご存知、外務大臣になり、お互い、新政府の高官になるわけですが、あるパーティーで会った際には、かっての出来事は忘れたように、談笑していたとか。斎藤は警視庁に勤めていたので、ひょっとしたら、二人の護衛をしたことがあったかも・・。最も、どちらも、彼が新選組の3番隊組長だったとは、想像もしないかもしれませんけど。
以上、つらつらと天満屋事件を書いてみました。高松太郎が襲撃した側から見た、この事件の報告を手紙でしていましたよね。
この「天満屋騒動」の翌日、またまた大事件。「王政復古の大号令」が発せられ、大政奉還を英断した徳川慶喜をクーデターによって勢力を衰えさせる事件がありました。
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