明治天皇陵 ②
明治天皇陵②
230段の石段
明治天皇が皇太子(後の大正天皇)では不安なので、自分で墓所の地を言っておくとおっしゃり、現在の伏見桃山の地を選ばれました。
明治天皇陵は、昔、秀吉の時代も「伏見城」本丸があった跡地です。
参道には伏見城に使用されたであろう石垣が置かれています。
明治天皇陵に行くには、先般記した、あの坂道をずっと登っていくと明治天皇陵にたどり着け、通過して下ると后だった昭憲皇太后の陵墓がある。
明治天皇陵の真南からいく場合は、なんと230段の階段を上らなければならない。
23段の階段を上ればややすペースが広い階段があり、それをセットにすると10セットある。つまり10×23=230ということになる。
1年前地元の方から、柵があり中に入れないが明治天皇の陵墓に行くにはあとひとつ7段の階段を上らなければならない。
地元の方曰く「教育勅語発令の日にちなんで造られた階段だよ。(上記のとおり)10×23+7。23は明治23年のこと。10は10月のこと23と7を足して30、つまり30日のこと。」
教育勅語発令は、明治23年(1890)10月30日。大学時代にもチラッと聞いていたが、忘れていたところ偶然にも同じ説明を聞くことができた。
この230段の階段、ぜひ健康の為おすすめです。大学時代は、ここを駆け上がりましたよ。
○教育勅語(ちょくご=天皇が国民におおせられる公式のお言葉)
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