赤穂義士ゆかりの地 10
赤穂義士ゆかりの地 10
萱野三平邸跡 箕面市萱野3-10-4
萱野(かやの)三平は、貞享4年(1687)、13歳のとき播州赤穂藩に中小姓として仕官しました。
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元禄14年(1701)、藩主 浅野内匠頭長矩が江戸城内にて刃傷事件をおこし切腹。
そのとき三平は江戸の赤穂藩上屋敷に詰めており、この事件を赤穂に知らせる使者として務めました。昼夜の区別なく早駕籠で赤穂を目指しました。途中、西国街道沿いにあった萱野邸を通過するとき、偶然、三平の母の葬儀が行われていました。
それを知りながら早駆けを優先しました。
三平は、赤穂明け渡しの後、仇討ちの同士として名を連ねていましたが、父である萱野重利に反対されました。
赤穂藩の忠義と父の孝行の葛藤に苦しみ悩んだ末、萱野邸自室にて自刃し27歳の生涯を閉じました。元禄15年(1702)1月14日。
辞世の句は
晴ゆくや日ごろ心の花曇り
現在、萱野邸跡は大阪府指定史跡をうけ毎週月曜日と年末年始を除いて無料にて屋敷内を見学できます。
萱野三平の墓は屋敷から南に行ったところにあります。
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