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アーネスト・サトウ・西郷吉之助会見の地(本覚寺跡)

アーネスト・サトウ・西郷吉之助会見の地(本覚寺跡)  中央区中寺2

慶応3年(1867)7月27日、早朝、薩摩藩士 西郷吉之助が本覚寺を訪ねます。公使パークスが将軍徳川慶喜に謁見するため、サトウは大坂城に行かなければならない忙しいときでした。

西郷は、予めサトウに手紙で来訪の意を知らせ、日時の都合を聞いています。

7月27日午前7時という返事が来たので、西郷が訪れました。西郷はパークスと議論をたたかわせるつもりで来たらしいのですが、多忙なため会えないとわかるとサトウに矛先を変えました。

この会談の内容については、西郷が大久保利通と桂久武に宛てた2通の手紙が残っています。7月27日付大久保への手紙では次のような記載があります。

(前文省略)大坂商社仏人(フランス人)と取り結び、大いに利を計り、候趣委敷(くわしく)申し聞け、仏人(フランス人)のつかわれものと御話しの通り言い掛け、些(いささ)か腹を立てさせて見たき賦(つもり)に御座候故、仏に憤激いたし候様説き込み候処、大いによく乗り、思い通りに怒らせ候処、段々意底を咄(はな)し出し候間、左の通りに御座候。

 大久保と念入りに打ち合わせた西郷は、「フランス人の使われ者」ともちかけ、サトウに腹を立てさせ本心を語らせることに成功します。サトウは西郷の挑発に乗ってしまったことを後年知り、ショックを受けています。西郷から聞いたことに一番刺激されたのは、幕府とフランスが兵庫開港で貿易を独占する計画があるということでした。開港問題に最も尽力したイギリスが、甘い汁を吸おうとするフランスにしてやられたと思ったのかもしれません。

 西郷がサトウからイギリスの真意を聞きだすことに成功したのに対し、サトウは西郷から薩摩藩の意底(倒幕に関することなど)を聞き出せていません。

 翌日28日の午前10時、サトウが西郷を訪ねるという約束を交わし、この日の会談を終えています。28日の会談で西郷は、薩摩の意底をサトウに少し伝えたようです。

 

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