ビートルズの日本公演から(2)
ビートルズ日本公演
前回の答えは、来年に公表いたします。
さて、それに関連してザ・ビートルズが日本武道館でコンサートを公演した際、実は司会を務めた人がいます。その方は誰でしょう?
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ビートルズ日本公演
前回の答えは、来年に公表いたします。
さて、それに関連してザ・ビートルズが日本武道館でコンサートを公演した際、実は司会を務めた人がいます。その方は誰でしょう?
日本武道館 その1
<12月8日>
私が企業の社員研修で、「12月8日は何の日でしょう?」
とよく質問をしたことがあります。
年齢の高い方は「真珠湾攻撃や太平洋戦争勃発」という答えが返ってきて、年齢の低い方は、「元ビートルズのジョン・レノンが亡くなった(暗殺)された日」と返ってきました。
現在の20代ならどんな答えが返ってくるでしょうか?
さて、ビートルズが来日したときの問題です。
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設問1 下記アドレスをクリックしてください。
東京龍馬会のAさんの急死にショックを受けております。
知ったのは、義母の告別式等を終えて自宅に帰り、ポストに投函されていた喪中のはがきを見たときでした。
Aさんは、今月の7日、45歳という若さでお亡くなりになりました。喪中はがきの差出人はご家族の方(おそらくご両親とご兄弟)だと思います。
東京龍馬会のMさんより、お亡くなりになったときの様子をメールで教えてくださいました。
人間の命のあっけなさ、はかなさを痛感せずにはおれません。
今から約2年前、2008年3月。わたしが職場で仕事と上司との折り合いがうまくいかず(本人は圧迫を与えるだけですから平気だったでしょうが)毎朝出勤時に、めまいや動悸痺れなどが生じはじめたころでした。
そんなときAさんから、ものすごい生き生きとした笑顔で外国に滞在されていた写真をメールでいただきました。その笑顔からパワー・エネルギーをいただいたことを昨日のように思い出します。
詳細は
http://www.tk-ryoma.com/patio/read.cgi?no=347
ご冥福をお祈り申しあげます
義母が逝去したため、しばらくブログがお留守になりました。
さて、読売新聞の本日の朝刊に「龍馬暗殺の真相」について書かれた記事を読みました。
この件で語り出したら、きりがないのですが、今回の記事も説得性に欠ける記事でした。
本当に謎だらけですね。
古墳時代ならともかくわずか150年前の話ですのに。
大河ドラマの「龍馬伝」は楽しみですが、結末は余り見たくない気持ちです。
「JIN~仁~」民放ドラマ2009年最高視聴率
昨日、放映された標題の人気ドラマが、うなぎのぼりに好評となり、ついに記録的な視聴率を獲得したようです。
私は、体調不良のため見れず、今日以降、録画で見ようと思います。
ほんとに良いドラマでありんした。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/091221/med0912211210000-n1.htm
真田幸村戦没の地(安居神社)に幸村の銅像完成!
大阪市内に2つめとなる真田幸村の銅像が、数年かけて寄付を募集しやっとできあがったそうです。座像だったのでびっくりしましたが、安居神社で少し休憩し、一気に徳川本陣へ攻め込むところの状況なのでしょうか。
夕陽丘に新たなスポットができました。
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/app/weblog/post?blog_id=1236510
次は、新選組大阪屯所跡の石碑建立が実現できそうだと、発起人のyuki-utaさんから先日伺いました。楽しみです。
勝 海舟寓居跡(専稱寺跡)にも働きかけていただいているようです。
いずれも楽しみです。
大阪旅めがね
今年、水都大阪2009開催に伴い、新しい大阪、意外と知らない大阪、美味しい店がこんなとこにあるとはなどをテーマとした街歩きのコースを実施した大阪旅めがね。
各マスコミにも多く取り上げていただき、事務局のO氏はTV出演も多かった年でした。
まだ、大阪旅めがねでは12月23日、26日の2コースが残っています。
23日は新世界エリアのツアー
http://www.tabimegane.com/area/shinsekai/shinsekai01.html
26日は空堀エリアのツアー
http://www.tabimegane.com/area/karahori/karahori090801.html
大阪の街のより深い新発見をご体験ください。
先日の「JR大阪駅構内を巡るツアー」は大変好評だったようです。
来年も乞うご期待。
大阪龍馬会のイベント
2009年もあとわずかになりましたが、明日(19日)の「龍馬基礎講座」も最終回となりました。
龍馬の手紙を読む。好評です。ぜひぜひご参加ください。
http://osakaryomakai.com/n/renzokukouza.html
今年は内野龍馬から来年の福山龍馬にバトンタッチです。
坂本龍馬の話題
坂本龍馬に関する新史料が発見されたという記事が昨日の夕刊に掲載されました。
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20091215-OYO1T00892.htm?from=top
坂本龍馬の豆知識 ⑦
「JIN~仁~」が大変な好評で、大阪龍馬会での恒例「今年の10大ニュース」では1位を飾りました。
書店でも大河ドラマにあわせて坂本龍馬の関連する本が発売されてきています。
(私がみたところ間違った箇所もあるので、1冊だけでは信じ込まないようにしてくださいね)
もう一度いいます。
「竜馬」は存在しません。「龍馬」です。
さて、大阪龍馬会でこれも恒例のクイズ。
難問ばかりでしたが、変名について出題がありました。
幕末の志士は本名のほかに変名を用いていました。
さて龍馬はいくつ変名を用いましたでしょうか?
我々のグループは正解することができませんでした。
そこでクイズです。よかったら解答してください。
もしよければ、その名前もコメント欄に記入いただけるとうれしいです。
大阪龍馬会の2009年10大ニュース
12月13日恒例の忘年会で「今年の10大ニュース」「クイズゲーム」が行われた。
10大ニュースの1位は、なんと『「JIN~仁~」大好評』。
内野龍馬はみなさん好評。海岸に立つ龍馬。かっこいい。
今年はスクリーン付での10大ニュース発表だった。
私の「市中引き回し」も10位以内にノミネートされていた。
3/29、4/12にご参加くださいましたのべ80名の皆様、さらには、情報提供や古地図販売等でご教示、ご協力皆様方には感謝申し上げます
慶応3年12月13日
大政奉還により政権を天皇へ返上し、天皇による新政府でも頼りにされていた慶喜に打撃を加えた「王政復古の大号令」により、慶喜は無官で領地の返還。政治への関与はできないというクーデターにより、権威がなくなった慶喜は二条城を退き、大坂城へ入った。
翌日、慶喜はフランス公使レオン・ロッシュとイギリス公使ハリー・パークスと大坂城で対談を行った。
ナカノシマ錦絵クルーズ(150年前の水都・大阪へ)
大阪旅めがねで「プレミアムツアー」として中之島および蔵屋敷跡のウォーキングとクルーズを混ぜた街案内・歴史案内を行いたいと思い、大阪旅めがね事務局より試乗させていただいた。
今、中之島は夜になるとイルミネーションが非常に美しく、さらに感動した。
このクルーズは期間限定で、年内は12月13日、12月18日~25日
八軒家浜発は16時、17時、18時、19時、20時で土佐堀川→堂島川→八軒家浜と一周し、約50分のクルーズ。船が動き出すと各所に備え付けのスクリーンに現在の位置、古地図で見た現在の位置、錦絵などを映し出し、説明が放送で流れる。途中、天井とサイドのドアが空き、オープンとなる。
八軒家船着場常夜燈(生國魂神社)
京都の伏見と大坂を結ぶ航路として淀川を三十石舟が往来していました。
ご存知でした? 八軒家の各船宿と伏見の各船宿と業務提携を取っていたんですね。
坂本龍馬の定宿である伏見の寺田屋は、大坂では八軒家の堺屋源兵衛でした。
また寺田屋同様に世話になった伏見の日野屋孫兵衛は思案橋西詰めにあった河内屋与次兵衛でした。
さて、八軒家船着場は明治期に入り次第に衰退していきました。
その八軒屋浜にあった船宿が共同で寄進した常夜燈が。天王寺区にある生玉魂神社境内にて保存されています。
上記写真の常夜燈のほか北門にも別の八軒家船着場にあった常夜燈が残っています。
上記写真には、新選組定宿だった「京屋忠兵衛」や伏見寺田屋と業務提携を結んでいた「堺屋源兵衛」の名が刻まれています。
アーネスト・サトウ・西郷吉之助会見の地(本覚寺跡) 中央区中寺2
慶応3年(1867)7月27日、早朝、薩摩藩士 西郷吉之助が本覚寺を訪ねます。公使パークスが将軍徳川慶喜に謁見するため、サトウは大坂城に行かなければならない忙しいときでした。
西郷は、予めサトウに手紙で来訪の意を知らせ、日時の都合を聞いています。
7月27日午前7時という返事が来たので、西郷が訪れました。西郷はパークスと議論をたたかわせるつもりで来たらしいのですが、多忙なため会えないとわかるとサトウに矛先を変えました。
この会談の内容については、西郷が大久保利通と桂久武に宛てた2通の手紙が残っています。7月27日付大久保への手紙では次のような記載があります。
(前文省略)大坂商社仏人(フランス人)と取り結び、大いに利を計り、候趣委敷(くわしく)申し聞け、仏人(フランス人)のつかわれものと御話しの通り言い掛け、些(いささ)か腹を立てさせて見たき賦(つもり)に御座候故、仏に憤激いたし候様説き込み候処、大いによく乗り、思い通りに怒らせ候処、段々意底を咄(はな)し出し候間、左の通りに御座候。
大久保と念入りに打ち合わせた西郷は、「フランス人の使われ者」ともちかけ、サトウに腹を立てさせ本心を語らせることに成功します。サトウは西郷の挑発に乗ってしまったことを後年知り、ショックを受けています。西郷から聞いたことに一番刺激されたのは、幕府とフランスが兵庫開港で貿易を独占する計画があるということでした。開港問題に最も尽力したイギリスが、甘い汁を吸おうとするフランスにしてやられたと思ったのかもしれません。
西郷がサトウからイギリスの真意を聞きだすことに成功したのに対し、サトウは西郷から薩摩藩の意底(倒幕に関することなど)を聞き出せていません。
翌日28日の午前10時、サトウが西郷を訪ねるという約束を交わし、この日の会談を終えています。28日の会談で西郷は、薩摩の意底をサトウに少し伝えたようです。
日曜ファミリー劇場「JIN-仁-」
本日放映で9回が終わりましたが、今までタイムスリップ者のドラマは見ないことにしていましたが、これだけは特別ですね。
一番驚いたのは「濱口義兵衛」が登場したこと。(かなりマニアックですね)
紀州出身でユアサ醤油の創業者。幕末期は商人の身分でありながら藩の重役に就任するをするほどの才能の持ち主。
大坂歴史ガイドでいつも、「勝 海舟寓居(専稱寺)跡」を案内するとき、勝 海舟へ面談の為たくさん訪問した人物の中に濱口儀兵衛の名が「海舟日記」にたびたび出てきます。
参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BF%B1%E5%8F%A3%E5%84%80%E5%85%B5%E8%A1%9B
今日は、新門辰五郎でしたね。いつまでも坂本龍馬が出場してくれるのはドラマとして盛り上がるのですが、この頃は神戸で活躍。海舟が謹慎処分の為江戸に蟄居後、大坂潜伏、薩摩、長崎と活躍していたのでは。
吉原に通ったことがある越後長岡藩の河井継之助にもばったり会うシーンなどあればよかったなと思います。また、緒方洪庵の死去の際、大村益次郎、福澤諭吉が駆けつけていますので、二人にも遭遇していれば面白かったなと思いました。
「坂の上の雲」を観て
今日登場した人物の中で、ドイツから派遣されたメッケル少佐。
明治20年(1887)4月13日、陸軍参謀の演習が現在の茨木市で行われる際、メッケル少佐も来阪し、現茨木小学校の講堂で講義を行っています。聴講者には山県有朋内務大臣も聴講しています。翌日は大阪市内にある「自由亭」に宿泊しました。
参考
http://osaka-siseki.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-dfb6.html
赤穂義士ゆかりの地 10
萱野三平邸跡 箕面市萱野3-10-4
萱野(かやの)三平は、貞享4年(1687)、13歳のとき播州赤穂藩に中小姓として仕官しました。
http://www.digibook.net/q/qIzMxYAdfLBTz-Xy/
元禄14年(1701)、藩主 浅野内匠頭長矩が江戸城内にて刃傷事件をおこし切腹。
そのとき三平は江戸の赤穂藩上屋敷に詰めており、この事件を赤穂に知らせる使者として務めました。昼夜の区別なく早駕籠で赤穂を目指しました。途中、西国街道沿いにあった萱野邸を通過するとき、偶然、三平の母の葬儀が行われていました。
それを知りながら早駆けを優先しました。
三平は、赤穂明け渡しの後、仇討ちの同士として名を連ねていましたが、父である萱野重利に反対されました。
赤穂藩の忠義と父の孝行の葛藤に苦しみ悩んだ末、萱野邸自室にて自刃し27歳の生涯を閉じました。元禄15年(1702)1月14日。
辞世の句は
晴ゆくや日ごろ心の花曇り
現在、萱野邸跡は大阪府指定史跡をうけ毎週月曜日と年末年始を除いて無料にて屋敷内を見学できます。
萱野三平の墓は屋敷から南に行ったところにあります。
天満屋事件 (初めて新選組が襲撃に遭う) ②
前回、天満屋事件を紹介しましたが、それをお読みになった方から詳しい補足説明をいただきましたのでご紹介いたします。
→紀州藩の三浦を新選組が護衛していましたが、その折の責任者は斎藤一です。吉村貫一郎もいたかも。斎藤は伊東が脱退する際、スパイに入って、油小路の決闘の前に、新選組に帰隊します。伊東との取り決めで、一旦伊東とともに脱退した者は、その後、新選組に帰れないことになっていまして、近藤は斎藤を天満屋に行かせます。
追手門学院校友会山桜会の会報84号
「輝ける追手門学院の歴史」
上記の会報に学院史を研究されておられる宮本先生の原稿が掲載されました。
詳細な調査と貴重な資料や写真も掲載されています。
追手門学院の創設者は旧薩摩藩士 高島鞆之助(のちの陸軍大臣)。
その高島鞆之助に関する記念碑の写真に、私が提供した写真を採用してくださり、
恥ずかしながら名前が載りました。
http://www.yamazakurakai.com/wp/wp-content/uploads/2009/11/84_04.pdf
http://www.yamazakurakai.com/wp/wp-content/uploads/2009/11/84_05.pdf
海援隊VS新選組(天満屋騒動)
坂本龍馬が率いる「土佐海援隊」、中岡慎太郎率いる「土佐陸援隊」は、慶応3年11月15日京都近江屋にて刺客により襲われ落命しました。
慶応3年12月7日。西暦で1868年1月1日にあたるこの日は、兵庫の開港、大坂の開市。
記念に兵庫と大坂天保山で祝砲が撃たれました。
その夜京都では、海援隊士らは主犯を紀州藩との噂を聞き、龍馬・慎太郎の仇討ちするため紀州藩士三浦休太郎と護衛していた新選組のいる「天満屋」へ襲撃をかけました。
池田屋事件と違い、新選組が襲撃される珍しい事件です。今となっては人気を二分する坂本龍馬と土方歳三(沖田もかな)の集団同士の斬り合いでした。
結局、主犯は新選組でなかったことがずいぶん後に判明し、この日の争いは無駄な血を流したことといえると思います。
現在は、真っ先に襲撃した十津川郷士 中井庄五郎は三浦に斬りかかるもすんでのところではずれ、新選組に斬られてしまいます。
天満屋跡には「天満屋騒動之跡」と「勤皇之士贈従五位中井庄五郎殉難」という碑があります。
2日後(慶応3年12月9日、西暦1868年1月3日)「王政復古の大号令」が発令され、大政奉還を英断した徳川慶喜は領地没収など手厳しい命令が下され、自然と開戦に向かいつつあった。
赤穂義士ゆかりの地 10
全国各所に赤穂義士ゆかりの地がありますが、兵庫県の社と大阪の住吉にもありますのでご紹介します。
明治天皇陵②
230段の石段
明治天皇が皇太子(後の大正天皇)では不安なので、自分で墓所の地を言っておくとおっしゃり、現在の伏見桃山の地を選ばれました。
明治天皇陵は、昔、秀吉の時代も「伏見城」本丸があった跡地です。
参道には伏見城に使用されたであろう石垣が置かれています。
明治天皇陵に行くには、先般記した、あの坂道をずっと登っていくと明治天皇陵にたどり着け、通過して下ると后だった昭憲皇太后の陵墓がある。
明治天皇陵の真南からいく場合は、なんと230段の階段を上らなければならない。
23段の階段を上ればややすペースが広い階段があり、それをセットにすると10セットある。つまり10×23=230ということになる。
1年前地元の方から、柵があり中に入れないが明治天皇の陵墓に行くにはあとひとつ7段の階段を上らなければならない。
地元の方曰く「教育勅語発令の日にちなんで造られた階段だよ。(上記のとおり)10×23+7。23は明治23年のこと。10は10月のこと23と7を足して30、つまり30日のこと。」
教育勅語発令は、明治23年(1890)10月30日。大学時代にもチラッと聞いていたが、忘れていたところ偶然にも同じ説明を聞くことができた。
この230段の階段、ぜひ健康の為おすすめです。大学時代は、ここを駆け上がりましたよ。
○教育勅語(ちょくご=天皇が国民におおせられる公式のお言葉)
赤穂義士ゆかりの地 9
赤穂義士四十七士像(吉祥寺) 天王寺区六万体町1-20
討ち入り300年祭にあたる平成14年(2002)、大石内蔵助良雄を含む四十七士の石像が建立されました。赤穂義士四十七士は次のとおりです。
大石内蔵之助良雄 大石主税良金 勝田新左衛門武堯 大石瀬左衛門信清 前原伊助宗房 潮田又之丞高教 間十次郎光興 三村次郎左衛門包常 間喜兵衛光延 武林唯七隆重 間新六光風 杉野十平次次房 吉田忠左衛門兼亮 吉田沢右衛門兼貞 茅野和助常成 菅谷半之丞政利 貝賀弥左衛門友信 不破数右衛門正種 間瀬久太夫正明 間瀬孫九郎正辰 神崎与五郎則休 横川勘平宗利 小野寺十内秀和 小野寺幸右衛門秀富 千馬三郎兵衛光忠 倉橋伝助武幸 大高源五忠雄 寺坂吉右衛門信行 岡野金右衛門包秀 矢頭右衛門七教兼 村松喜兵衛秀直 村松三太夫高直 早水藤左衛門満堯 堀部弥兵衛金丸 堀部安兵衛武庸 矢田五郎右衛門助武 奥田孫太夫重盛 奥田貞右衛門行高 木村岡右衛門貞行 中村勘助正辰 近松勘六行重 原 惣右衛門元辰 岡嶋八十右衛門常樹 片岡源五右衛門高房 赤埴源蔵重賢 富森助右衛門正因 磯貝十郎左衛門正久
赤穂義士ゆかりの地の写真です。
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