夕陽丘史跡 真田幸村戦死の地
戦国武将 真田幸村戦士の地
夕陽丘にある安居神社が真田幸村の戦死の地です。
現在、この神社境内に真田幸村の銅像が年内に建立されるそうで、石碑が移転し参加者に見ていただくことができませんでした。
安居神社から茶臼山まではわずかの距離です。徳川家康本陣から見ると大変慌てたに違いないと思います。
大久保彦左衛門は後に「三方が原の戦い(若き徳川家康が武田信玄に大敗した戦)以来」と語ったそうです。幸村の命日にあたる5月7日は、毎年、安居神社にて幸村祭が行われています。
さて、その真田幸村。今はものすごい人気があります。
真田幸村の名で知名度が高いのですが、実際の本名は「真田信繁」といいます。
信繁直筆の書状を始め、この時期の史料で「幸村」の名が使われているものは存在しないようです。
実在の人物の名としては「信繁」を使用するのが正解です。「幸村」の由来は、江戸期、寛文12年(1672)に完成の軍記物語『難波戦記』に「幸村」が登場します。その本が爆発的に売れたため「幸村」が一般的となり、後世になると新井白石の『藩翰譜』や、兄・信之の子孫である松代藩の史書にまで「幸村」が採用されたそうです。
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