大坂城 豊臣期の石垣
大坂城 豊臣期の石垣 中央区大手前1-3-20 (追手門学院小学校)
産経新聞では毎週火曜日夕刊に「古都おおさか再生 上町に学ぶ」が連載されていますが、11月17日は学校法人追手門学院の学院長 鈴木多加史先生に寄稿で「大坂城跡」というテーマでした。
ご存知の方が意外と少ないのですが、現在の大阪城のほとんどは徳川期に作られたものです。石垣は計算されて詰まれたもので立派なものですが、豊臣期の大坂城はすべて、土の中に埋められました。現在の天守閣の東にある配水所の下を掘れば、豊臣期の天守閣のい工が出てきます。したがって、現在、豊臣期の遺構を見ることができるのは、ごくかいぎられた場所にある石垣跡と太閤下水でしょう。
その、豊臣期の石垣を地上で見ることができるのは、地下に眠っていたものを地上に上げたものです。
今回の新聞で紹介された石垣は、追手門学院小学校の地下にある(地下駐車場ではなくその下の機械室の写真です。(非公開)
追手門学院では上町プロジェクトに取り組んでいます。
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