慶応3年11月17日
慶応3年11月17日 中岡慎太郎絶命
同年同月15日、刺客に襲われ会談していた坂本龍馬(土佐海援隊長)と中岡慎太郎(土佐陸援隊長)重傷を負わされた。ほどなく龍馬は息を引き取った。慎太郎は「不覚じゃった」といいながら回復するかに見えたが、後頭部に受けた傷が致命傷で、息を引き取った。
11月15日近江屋で二人は何を話していたのか。
龍馬の構想と慎太郎の構想は同じではなく、談笑するのが少なく激論を交わしていたかもしれないし、同郷のよしみで今夜ぐらいはゆっくり語り合おうということだったかもしれないが、真相は不明。龍馬とは3歳若い慎太郎は、龍馬に負けず全国をよく歩いた。
京都の霊山護国神社には、両名のお墓が並んで建っている。また、両者の小さな銅像も建っている。龍馬が目立つ分慎太郎の知名度が低いが、維新功労者の大役を発揮したと思う。
中岡慎太郎記念館は行ったことがあるが、銅像は京都のものしか見たことがない。
一度、言ってみたいと数年前から思いながら果たさずに今日に至っている。
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