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慶應3年11月15日 坂本龍馬、中岡慎太郎 遭難

慶應3年11月15日 坂本龍馬、中岡慎太郎 遭難

今年も龍馬の命日がやってきました。

実際は西暦1867年12月10日火曜日です。

暗殺者の定説は、佐々木只三郎ら「京都見廻組」の者が実行したといわれています。

おそらくそうだと思いますが、陰で操ったのは誰かまたはどの組織かとなると、まだまだなぞめいたところがあります。

中岡慎太郎の寓居先「菊屋」に峯吉という人物がいて、遭難の日、龍馬から「軍鶏を買ってきてほしい」との依頼を受け、近江屋から買い物に出かけます。その出かけている間に惨事が起こっていたということになります。

何年か前に、菊屋峯吉のご子孫の方のお話を聞くことができました。

「店を出て暗闇の中、誰かがすれ違ったような気配がした」と峯吉は話しており、代々伝わっているようです。峯吉も斬られていたかもしれません。

当初、犯人は新選組だと疑われたようですが、新選組はそれどころでなく、離脱した伊東甲子太郎派(高台寺党)を如何に処分すべきかで精一杯だったと思います。3日後の11月18日悲劇が起こります。

龍馬が生きていたらどうなっていたか。(歴史にifは禁物ですが)

龍馬は新政府要職に徳川慶喜を推挙すべきという考えであったため、岩倉卿、薩摩・長州・芸州・陸援隊からは危険視されていたと思われます。

「世界の海援隊でも」という考えがあるならば、大政奉還の時点でその動きが始まっててもおかしくないと思いますが、「新政府綱領八策」などを起草していましたので、政治に関わるつもりだったと思います。

坂本龍馬は好きですが、維新の功労者は龍馬だけでなく、たくさんの大和魂を持った志士たちが命を賭けて働いたからだと思います。

しかし、志半ばで命を奪われた龍馬のことを思うと、何度も涙が出ます。

故西尾秋風先生は常に言っておられました。

「断じて! 断じて! 刺客どもに時効は許されないのであります!」

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