幕末の志士が歩いた大坂 1
幕末の志士が歩いた大坂 1回目
10月12日13時、本町駅からスタートし中之島、肥後橋、を経てリーがロイヤルホテルにて終了。約40箇所をご紹介しました。中之島にある大阪市中央公会堂の前で寄付者岩本栄之助の紹介をしているところに大阪市の平松市長が、私の持っている旗を見られて、近づいて来られ、参加者の皆さんにご挨拶くださいました。水都大阪最終日ということもあり多忙のため1分もいらっしゃいませんでしたが、私を含めて参加者全員喜んでおられました。
さて、シリーズとして大坂の史跡をこのブログで紹介させていただこうと思います。
1回目
【勝 海舟寓居(専稱寺)跡】
勝 海舟日記や近藤長次郎の子百太郎の覚書などで北鍋屋町にあった専稱寺を勝 海舟は、寓居先にしていたことが書かれています。現在の大阪市中央区淡路街3丁目にあたります。
先日の12日は、専稱寺の範囲を説明の上、専稱寺に「勝塾(大坂海軍塾」が開かれ、坂本龍馬や近藤長次郎などの土佐脱藩浪士などの海舟門下生が軍艦の操作や時勢について勉強した場所であることを説明いたしました。
特に「その時歴史が動いた」的なことは、元治元年9月11日に薩摩の西郷吉之助が海舟を訪れ両者は初顔合わせとなりました。西郷は「長州問題、兵庫開港問題、長州の次は薩摩を狙っていないかどうかを探るため、打ちたたくつもりで乗り込みましたが、海舟の人物に驚き頭が下がり、佐久間象山よりも海舟先生の方が凄い」と大久保に手紙を送っています。この会談後、両者に信頼関係が生まれ、江戸城無血開城を決める会談につながりました。
勝 海舟の寓居先には、門下生のほか、桂 小五郎(長州)、松平勘太郎(幕臣 大坂西町奉行)、伴 鉄太郎(幕臣 海舟とともに咸臨丸で渡米)、井上聞多(長州)、吉井幸輔(薩摩)、大島友之允(対馬)など、後に活躍する志士が訪ねています。
アクセス
残念ながら石碑がありません。場所は「ノリタケビル」とその北隣のビルが該当します。
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