漏月庵
今夜仕事を終えて帰宅し、着替えに2階に上がると普段はカーテンが閉まっているが、今日は開いていた。そこから月明かりが差し込んでいた。瞬間に村田良庵(蔵六)後の大村益次郎が適塾に通っている頃、土佐堀通の倉敷屋作右衛門の寓居先から、大阪城近くの善庵筋(現在の大阪市中央区徳井町)にある一軒家の借家に転居した。初めて我が家を持った。夜、寝転がっていると月明かりが家の中に漏れていて、彼は「漏月庵」と名づけた。
皮肉にも彼の終焉の地はこの地から近い。江戸で蘭学を教え、長州藩に招聘され軍師となり、第二次長州征伐に対し幕府軍を戦略で破り、江戸城明け渡し後上野戦争で西郷隆盛をおしのけて自ら指揮をとり1日で戦を終わらせた。明治新政府の基礎を固めるため兵部大輔として大阪の地を軍の拠点と定め実行に移す直前、京都で暴徒に襲撃され、彼の恩師である緒方洪庵の子 緒方惟准が院長を務める大阪病院・大阪医学校で手術の甲斐なく亡くなる。彼を主人公にした小説「花神」の著者 司馬遼太郎氏もこの地で亡くなっている。
月明かりから話が広がったが、再度、大村益次郎の活躍を振り返る1日となった。
« 吉田松陰 | トップページ | 夕陽丘の地名の由来と陸奥家 »
「大村益次郎」カテゴリの記事
- 大坂の史跡探訪 Vol.4 大坂城(2015.07.15)
- 大阪城について 1(2015.06.05)
- 大阪史跡探訪Vol.18 (2015.05.23)
- 京都の幕末を歩く Vol.1 を実施します(2014.07.02)
- 幕末 大村益次郎(2014.04.08)
最近のコメント