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2009年8月

吉田松陰

大阪龍馬会大学校

3時間にわたり吉田松陰の生涯と、松陰が歩いた史跡を紹介する講座があり受講してきました。講師は大阪龍馬会の幹事K氏。テキストが分厚くかなりの準備が必要だったろうと思わせることこまかな講義でした。事務局長といい、なぜこれほどにも勉強熱心なのか。頭が下がる思いでした。10月25日は「大阪史跡探訪南部編Vol.2」の講師を私が務めますが、やはりメインは吉田松陰になります。この講座にリンクした史跡めぐりになるよう今からテキストを作成していきます。

ちなみにVol.1では下記の箇所を巡りました。

境橋仇討ち場跡
嘉家作丁
春泉堂跡(紀州藩主参勤交代時の休憩所)
津田 出 住居跡
南方熊楠生誕の地
南方熊楠の像
勝 海舟寓居跡 福島屋(清水平右衛門邸)跡
紀州藩校学習館跡
勝 海舟訪問の地 紀州藩伝法の別館跡
紀州藩家老 久野丹波守 中屋敷跡
陸奥宗光像
和歌山城
第8代将軍 徳川吉宗像
第8代将軍 徳川吉宗生誕の地
陸奥宗光生誕の地
勝 海舟訪問の地 淡嶋神社
勝 海舟宿泊の地 加太
大久保一翁(忠寛)宿泊の地 利光平兵衛邸跡

勝 海舟宿泊の地 庄官戸口仙蔵邸跡(戸口家)

吉田松陰宿泊の地 山田文英邸跡(山田家)

旧紀州街道
吉田松陰宿泊の地 (久住清子邸)

桂小五郎潜伏の地跡碑

桂小五郎潜伏の地跡碑

桂小五郎の潜伏地跡の碑(ほかにまだまだありますが出石城下のみにとどめます)を紹介します。

http://www.digibook.net/d/3014a9b7b0da921c3f73c371ef592ee8/?viewerMode=fullWindow

大阪史跡探訪を実施いたします

10001 大阪龍馬会で2000年より今年まで9回にわたり「大阪史跡探訪」の講師を務めてまいりましたが、大阪旅めがねで「大阪歴史プレミアムツアー」をガイドさせていただくこととなりました。私自身、今年の2月、「国内旅程管理研修の課程を修了」を取得したうえで、プロのガイドとしてデビューするプログラムです。
1回目:9月22日
大阪城周辺ツアー(大阪城とその周辺):普段ガイドブックに載っていない箇所として、新選組定宿「京屋跡」、坂本龍馬ゆかりの「堺屋跡」、第14代将軍徳川家茂終焉の地跡、イギリス公使館跡、徳川慶喜と各国公使謁見の間跡、豊臣期の大坂城跡と石垣などをご案内いたします。
2回目:10月12日
幕末志士が歩いた大坂ツアー:江戸期にあった蔵屋敷跡を中心に普段ガイドブックに載っていない箇所として、勝海舟寓居跡(大坂海軍塾跡、西郷隆盛・勝海舟初の会見場所跡)、慶應義塾大阪分校跡、吉田松陰・後藤松陰面談の地跡、坂本龍馬ゆかりの地「土佐海援隊大阪詰所跡」などをご案内いたします。
3回目:11月8日
夕陽丘周辺を歩く:私が大阪で最も好きな箇所夕陽丘にある史跡を紹介します。普段ガイドブックに載っていない箇所として、イギリス外交官アーネスト・サトウ宿泊の地跡(小松帯刀や西郷隆盛が訪れた場所)、伝坂本龍馬潜伏の地、新選組大阪屯所跡、陸奥家墓所跡(陸奥宗光の最初の妻の墓碑、菩提樹がまだ残っています)、小松帯刀墓所跡などをご案内いたします。お申し込みは下記HPにアクセスください。

http://www.tabimegane.com/premium/rekishi090922.html

坂本龍馬の豆知識 その4

坂本龍馬の変名

 幕末期は佐幕派、勤皇派などさまざまな思想があり、自分の身を守るため変名を使っていました。

 龍馬の変名は、「才谷梅太郎」が有名で、京都の「酢屋」さん(海援隊京都詰所跡・龍馬寓居跡)では、未だに当時の龍馬を説明する際、「才谷さんは・・・」とおっしゃっています。

 そのほかにも龍馬は次のような変名を用いていました。

 「西郷伊三郎」「高阪龍次郎」「大濱濤次郎(なみじろう)」「取巻抜六」。

大阪日日新聞(8月18日号)

日刊大阪日日新聞(8月18日発刊)の18面に、「新選組、竜馬ゆかりの宿」というタイトルでyuki--utaさん投稿の記事が紹介されていました。

八軒家船着場にあった新選組の定宿「京屋忠兵衛」と坂本龍馬ゆかりの地として「伏見寺田屋」と業務提携を結んでいた「堺屋源兵衛」です。約1000字ですからかなり詳細に紹介されていました。

バックナンバーは下記まで

06-6120-1800 

上町学プロジェクト

今回のテーマは、国際日本文化研究センター笠谷教授による「なぜ大坂の陣が起こったのか」という講演と講談師旭堂南陵氏による「真田幸村の入城」講談が、追手門学院主催で、同学院の大阪城スクエア(大阪城天守閣がまじかに見えるホール)で開催されました。徳川家康の乗った籠に後藤又兵衛襲い掛かり家康は堺で命途絶えたという伝説は有名ですが、なんと大阪城天守閣学芸員のK氏が、日光東照宮よりその襲われた籠を発見されたそうです(2年前)。
堺市の南宗寺には昔からある家康の墓が存在するのも、まんざらこの話は創作でもないか0003 0002 0001 も知れませんね。真田幸村が作った「真田丸(出城)」の碑もできていました。
また、千 利休屋敷跡、前田利家邸跡(現、大阪女学院で利家終焉の地にも該当する)も三の丸内にありました。

坂本龍馬の豆知識その3

<神戸海軍操練所と神戸海軍塾>
よく坂本龍馬関連の本で龍馬は「神戸海軍操練所の塾頭だった」というのを見かけます。

神戸海軍操練所は、勝 海舟が第14代将軍徳川家茂に摂海を蒸気船で案内している時、直談判で「海軍創設の必要性とその人材を育てるため、神戸に操練所を開設すべき」と訴え、家茂は即答にて承諾します。

つまり「神戸海軍操練所」は幕府によって創設されたものですので、脱藩浪士は入所できません。勝 海舟は大坂の寓居先である専稱寺に「大坂海軍塾〔勝塾)」を開塾。龍馬は勝塾に入塾。

勝 海舟が神戸に拠点を移した際、自邸を設けます。勝塾も神戸に移転。勝 海舟邸で「神戸海軍塾(勝塾)」が開かれた可能性が高いと思われます。

大坂海軍塾より塾頭だった佐藤与之助〔庄内藩士)が、神戸海軍操練所の教授役に抜擢。勝塾では、塾頭が空席になり、坂本龍馬が勝塾の塾頭を継ぎました。

0650001 「神戸海軍操練所」と「神戸海軍塾」は別物で、ご存知の方が意外に少なく、著名な歴史作家でも誤記があるケースが多々あります。写真は神戸の勝海舟邸跡です。現在の阪急三宮駅に該当します。

坂本龍馬の豆知識その2

坂本龍馬の出身である土佐藩の当主は山内家。さて四賢候の一人、山内容堂は「やまのうち」?「やまうち」?
山内家本家は「やまうち」と名乗り、分家は「やまのうち」と名乗っています。分家から本家に入った山内容堂(元は豊信)は「やまのうち」と名乗っていましたが、藩主となるや「やまうち」に変わっています。エピソードがあり上京した際、公家から「やまのうち殿」と呼びかけられて無視した逸話が残っています。
正解は「やまうちようどう」です。

龍馬は実在するが竜馬は実在せず 

龍馬と竜馬の違い

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」があまりにも有名になったためこのような現象がおこっているのですが、名前に略字を使用しても実際の公文書などは正式な文字を使います。例えば小浜さん→小濱さん、斉藤さん→齋藤さん、渡辺さん→渡邉さん。龍馬に関する史料で龍という字はあっても竜という字は使われていません。「龍谷大学」も「竜谷大学」とは標記していません。司馬さんが「龍馬」とせず「竜馬」にしたのは実像の龍馬に司馬さんの創作が入るため「竜馬」で表現したといわれています。武田鉄也氏の「お~い竜馬」も「竜馬がゆく」に影響を受けたからだと思います。正式には坂本龍馬です。みなさん来年の大河は「竜馬伝」でしたでしょうか?違いますよね「馬伝」なのです。
ヽ(*≧ε≦*)φ

東横堀川水門を通航したら証明書がもらえます!

昨日は大阪城港から湊川リバープレスまで「アクアミニ」に乗船しました。

自主練かねて家族そろって乗船。子供はおおはしゃぎ。

さてパナマ運河同様の「東横堀川水門」は大きな目玉。

最近からでしょうか「通航証明書」を乗船者全員に配付されていました。Dsc022760001 Dsc022770002

坂本龍馬の豆知識その1

龍馬と竜馬の違い

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」があまりにも有名になったためこのような現象がおこっているのですが、名前に略字を使用しても実際の公文書などは正式な文字を使います。例えば小浜さん→小濱さん、斉藤さん→齋藤さん、渡辺さん→渡邉さん。龍馬に関する史料で龍馬という字はあっても竜という字は使われていません。「龍谷大学」も「竜谷大学」とは標記していません。司馬さんが「龍馬」とせず「竜馬」にしたのは実像の龍馬に司馬さんの創作が入るため「竜馬」で表現したといわれています。武田鉄也氏の「お~い竜馬」も「竜馬がゆく」に影響を受けたからだと思います。正式には坂本龍馬です。

平 将門

私が歴史に興味を与えてくれた人物、それは坂本龍馬でもなく大石内蔵助でもなく織田信長、豊臣秀吉・・・ではありません。平 将門です。現在の茨城県を中心に活躍し正義感あふれる活動をし藤原氏に抵抗した純朴な武将でした。

わたしは、幕末維新を卒業した後はこの平 将門の史蹟めぐりを十分行いたいと思っています。大河ドラマ「風と雲と虹と」がCSで再放送される中、魅力満点の人物だと思いました。

あまりにも正義感が強すぎるため坂本龍馬同様、討たれてしまうところは共通だと感じました。

大阪龍馬会南部編Vol.2どうしよう・・・

いよいよ10月が迫ってきました。

一昨年実施した「大阪史跡探訪南部編(和歌山も含む)」が途中で終わり、

残りのネタがそれほど残っていません。

どなたかリクエストはありませんか?

例)勝海舟宿泊の地「戸口仙蔵宅跡」

あれば掲示板にお願いします。c(>ω<)ゞ

http://6115.teacup.com/osayan/bbs

大阪検定

今年初めて行われた「大阪検定」

6月に大阪市立大学学舎で試験が行われましたが、私は2級を受験しました。

マニアックな問題で解答するのに90分ぎりぎりでした。

先日、合格証ととに通知が来ました。来年は1級取得を目指して頑張る所存です。

「京屋忠兵衛の銘板」見て来ました。

前説を覆し新説で「大阪史跡探訪Vol9」でご披露しましたが、yuki-utaさんが実費で銘板の設置をされました。(大拍手!!)銘板を設置にご協力いただいた「フロマージュ天満橋店」では京屋忠兵衛が新選組の定宿とともに坂本龍馬の妻お龍さんが独身時代、連れ去られた妹を奪還してこの京屋から伏見に帰っていったエピソード。さらには京屋より東側に船宿「堺屋源兵衛」があり坂本龍馬ゆかりの地であるということを紙にまとめてお渡しくださるそうです。

ぜひ、フロマージュ天満橋店へお越しください。ちなみに八軒家船着場は高倉筋の北側から尼崎信用金庫の西端までが範囲でした。現在の土佐堀通りの北半分が大川で、南半分が陸へ上がるための石段などがあったようです。Dsc0223900010001

大坂と大阪の史跡やスポット情報

(○`・ェ・)ノ【こ】【ん】【に】【ち】【ゎ】

大阪の史跡をはじめ、全国の幕末維新やそのほかの時代の史跡情報などをの情報提供・方法収集の場であればと思います。

掲示板も開設しています。どうぞよろしくお願いします。

http://6115.teacup.com/osayan/bbs

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